かたばみ日記 令和7年 夏

三遊亭司の「二藍の文箱」 第4回

7月下旬 ~大衆酒場、極辛紅鮭、羽田

7月23日 水曜日

 朝、数日前につくった、新生姜の佃煮でめし一膳。夏らしい。

 ひさびさに会ったキーランが「鶴見ひるま寄席」に来るというので、(柳家)小志ん、(林家)はな平、(柳家)花ごめ各師と口演予定の噺をすりあわせて、あらすじを英訳し、キーランに送る。大の日本好きのキーランだが、日本語の読解力はわたしの英語同様だ。

 わたしは二番手で『片棒』を演る。要所要所で笑っているところを見ると、あらすじが効いているようだ。

 ハネて地元の大衆酒場へ。彼はなんでも飲み、食べる。もつ煮がレバーシチューには笑った。

 キーランの両親はアイルランドのひとで、彼はアイルランド系アメリカ人ということになる。だから、ご両親は大変苦労されたそうだが、それを乗り越えるために「物語」があり「詩」があり「歌」があった、と。なんだ、落語とおなじだ。

 「きょう、わたしは特別なゲストになった気分だ」と、彼は言ったが、そう、わたしたちにとっても、特別な高座となった。

7月24日 木曜日

 11時、高校の同級生と蒲田で南インドカレーを食べながら打ち合わせ。秋のイベントが一本決まる、ありがたい。

 8時、二ツ目二名来訪。夏の挨拶。悪疫禍を期に、盆暮の挨拶は辞退しようと思ったが、こうした一見無駄なことが落語家を落語家たらしめているのでは、と、カタチだけ残すことに。なので、挨拶を受け、そのまま暑気払いや忘年会をすることに。

7月25日 金曜日

 朝、めしを炊き、さっそく昨日の夏の挨拶にいただいた、丸赤(商店)の極辛紅鮭をいただく。わたしが好きと言ったのを忘れていないのはえらいが、これを四切れもらっても大変だ。五分の一切で一膳食べられるほど。極辛に偽りなし。

 15時半、池袋演芸場。一門の花形・立花家橘之助師匠に11月の蒲田での会の助演をお願いに伺う。

 「あらぁ〜(立花家)あまねじゃなくって?」
 「なにを仰います、いつもは予算がないから、あまねなんですよ」

 ご出演、ご快諾いただく。

 18時、谷中松寿司。予約困難店で年に2回ぐらいだろうか。夏の魚はすっきりとした旨みがいい。

7月27日 日曜日

 9時30分、穴守稲荷駅。羽田神社の祭禮。まずは幼馴染たちのいる仲羽田町会の子ども神輿(みこし)と山車(だし)につきあう。羽田というと空港のイメージだろうが、大田区に住んでいる人間にとっては、かつての小さな漁師町だ。

 15時、弁天橋から羽田神社手前までの連合渡御(みこしとぎょ)。弁天橋の大漁旗の下で、潮風を受けながら祭りの掛け声、囃子(はやし)を耳にするのは、蒲田からわずか10分足らずだが、小さな旅の風情がある。

 羽田も挨拶に行くところも、会うひとも随分と減ってしまったが、だからこそ大切な町の、大切な祭りだ。夏がはじまり、ひとつおわる。

7月31日 木曜日

 11時、上野取材。落語協会の夏の寄り合いと時間がぶつかり、今年も欠席。取材終わりに谷中まで足を伸ばして、全生庵の三遊亭圓朝師匠の墓参をする。今夏も大圓朝の御作を随分とかけることになるので、まずはご挨拶。なにしろ、怪談ばかりなので、何かあっちゃ拙い。これにて、演者だけでもまずは無事だ。

 帰りに、三代目、四代目三木助、女将さんの菩提寺にも寄り、線香を上げる。最初にお詣りした27年前は三代目師匠だけだったのに。