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捨て犬のブルース (後編)
鈴々舎馬風一門 入門物語 第16回
- 落語

マッサージは大師匠とゆっくりお話ができる、かけがえのない時間
『タイガー&ドラゴン』の世界へ
その頃の落語協会はというと、事務局に履歴書を提出してから半年程度で楽屋入りするのがお決まりの流れ。なので卒業を見越して大師匠のお宅へ挨拶に伺うことになった。
忘れもしない2008年10月11日、学生服に身を包んだ私は、師匠の獅堂と二人で、待ち合わせをした最寄りの駅からご自宅へと向かう。立派な格子戸を抜けて玄関を開けるとおかみさんの「いらっしゃい!」という元気な声、またその日は中席の初日ということもあり二ツ目の兄さん方が揃って出迎えてくれた。
地元の銘菓を渡すと、挨拶もそこそこにリビングへと案内される。おかみさんが丹精込めて作ってくれた手料理を、兄さん方が取り分けてくれた。おかずも一品二品ではなく、まるでホテルの朝食バイキングのようで、それを弟子一同遠慮なく食べるのだ。
一門でテーブルを囲みながらの食事はドラマ『タイガー&ドラゴン』のワンシーンそのもの。これこそが自分が思い描いていた落語家の家かもしれない。
少しすると、食事には加わらずに隣の部屋にいた大師匠が、
「おう! ちゃんと食ってるか?」
「はい、美味しくいただいております!」
「いっぱい食えよ! 明るく元気良く、返事はハキハキが一番だからな!」
「ありがとうございます!」
憧れの馬風師匠との初めての会話だった。
その名は「いっぽん」、大師匠が名付けた私の生きる道
食事を終え「さて、この子の名前、どうしようかしらね」と、おかみさんが筆と半紙を取り出す。亭号を鈴々舎にするのか、柳家にするのか。
まずは鈴々舎で考えることになり、候補に挙がったのは『鈴々舎風馬(ふうま)』という「馬風」をひっくり返した名前。師匠が「それはなんとなく、畏れ多いです……」と体よく断り、結局は師匠の『柳家獅堂』に合わせて、「柳家にしよう」ということになった。
兄さん方が意見を出してくださる中、風呂上がりの大師匠が顔を出されて、「柔道やってたんだってな。だったら『有効』ってのはどうだ?」と言ってくださった。『有効』は、柔道の判定ポイントの1つだが、その年から国際ルールでは廃止に。そこからヒントを得て『有効』→『技あり』→『一本』と、最終的に誰でも読めるように、ひらがなで『柳家いっぽん』と決まる。
自分の特色も入っているし、前座らしさもある。また師匠の『獅堂(指導)』とも掛かっているとても自分らしい名前はすぐに馴染んだ。
そこから訳あって大師匠の元へ通うことになるのだが、その経緯はまた改めて別の機会に語るとしよう。とはいえ、一番最初に避けたところに預けられるというのは、何か運命じみたものを感じる。これは運命であり、宿命であり、親友の先見の明だったのかもしれない。
名前をもらった翌年の2009年4月から、一人暮らしを始めた。家賃2.5万円、都電の雑司ヶ谷駅から徒歩1分、風呂なし四畳半、木造二階建て、トイレ共同、窓を開けると目の前には霊園が広がるトンデモ物件。
不動産屋から半ば騙されるように契約したその部屋は、今後の落語家人生を振り返る上で、修業時代の貧乏自慢にはもってこいだ。
そんなボロアパートからの通いを経て、7月にどうにか楽屋入りを許される。