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落語愛を、次世代へ ~あの日の感動を、息子も知った

月刊「シン・道楽亭コラム」 第5回

落語はいつから「私の日常」になったのだろう

 自分がいつ落語に出会ったのか、明確な記憶はない。それくらい、落語は物心ついた時から身近だった。墨田区向島に生まれ育った祖父と母は、わかりやすい典型的な江戸っ子だった。歌舞伎と落語が何よりも大好き。塩だけで五合いける酒飲みで、長屋に住んでいた。祖父は「は行」が言えなかった。

 母はよく家で落語を聞いていた。落語のレコードがたくさんあった。覚えているのは、先々代の三遊亭金馬師匠のジャケット。BGMとしてはジャマにならないし、落語が流れていることについて、私はなんとも思っていなかった。落語が流れていることは当たり前で、日常だった。

 母は、よく寄席に連れて行ってくれた。私としては落語よりも、その後に行く外食が楽しみで、嫌な顔をせずついて行った。主に行ったのは浅草で、帰りに鶏骨付き肉の照り焼きを出してくれる食堂のような店によく行った。蕎麦屋も記憶がある。子どもだったので、私は蕎麦よりも肉が良かったが、母は蕎麦屋に行きたがって揉めたことがある。

 一度、鰻を食べに行ったことも覚えている。こんなドロドロで歯ごたえのないもの、どこがおいしいのだろうかと思った。ドジョウのほうがよっぽどおいしいと毒づいていた。もったいないことだ。当時の舌を呪いたい。でも、今でもドジョウのほうが好きだ。

 どちらにせよ、どこに行っても私は一生懸命食べて、母はニコニコして飲んでいた。時々、祖父も一緒だったが、やっぱりニコニコして飲んでいた。

 と、外食の記憶はあるが、何を聞いたのか落語の記憶は一切ない。でも、つまらなかった記憶もない。それなりに笑って楽しんでいたと思う。

 約30年後、母と全く同じ行動を私自身がしている。自分が落語を聞きたいことはもちろんだが、「子どもが一緒に楽しんでくれたらもっと楽しいし、落語好きになってくれたらいいな」と思って、寄席に連れて行った。全く同じことを母も考えていたのだろう。

 祖父や母と同じ酒飲みに育った私は、一生懸命食べる子どもの横顔を見ながら、そして子どものまっすぐな落語の感想を聞きながら飲む酒は、格別においしいことも知った。