NEW

落語愛を、次世代へ ~あの日の感動を、息子も知った

月刊「シン・道楽亭コラム」 第5回

あの日の暇つぶしは、母の本棚から

 当時はまだ少なかった稼げる女だった母は、自分が好きなことには惜しみなく金を使った。落語、歌舞伎、酒のほかに、本が好きだった。家には本があふれかえり、壁という壁は特注の本棚で埋め尽くされ、天井からも本棚が伸びていた。入り切らない本は床に転がっていた。友だちが遊びに来ると、本の圧迫感にみんな驚き、「地震が来たら、本の下敷きになる」と言われていた。

 本の中に埋もれているような家だったが、小さい頃あまり体が丈夫ではなかった私にとって、好都合でもあった。保育園や学校には半分くらいしか行けないので、とにかく暇。当時の暇つぶしは、すでに仕事を引退していた祖父と一緒に見る相撲と野球、そして本ぐらいしかなかった。

 子ども向けの文字が大きな本はあっという間に読み終わってしまう。そのため、当時の愛読書は野球の選手名鑑と『月刊相撲』だった。字が小さいから。子どもは記憶力が良いので、当時は野球と相撲の選手(力士)や戦績などを丸暗記していた。おかげで小学生の頃、学校に行けなくても算数と漢字にはめっぽう強かった。変な子どもである。

 話がそれたが、母は本の中でもエッセイやノンフィクションが好きだったようで、その中に落語家のエッセイ本もたくさんあった。落語家のエッセイは読みやすく、暇つぶしにそのあたりに転がっている落語家のエッセイをよく読んでいた。古典落語全集、という感じの分厚い本もあり、これは読むのに時間がかかるので重宝していた。

 成長するにつれて徐々に体が丈夫になった私は、クラブ活動や学校に忙しくなったと同時に、落語に興味がある同級生などいない、ということに気がついた。野球や相撲も女の子はあまり興味がないこともわかり、同級生と話を合わせるために私は好きなものを再構築する必要があった。

 寄席に行くことも、相撲の星取表(ほしとりひょう)をつけることもなくなったが、母が買ってくる本は時々読んでいた。その中から向田邦子、沢村貞子、椎名誠など好きな作家も見つけ、本だけは変わらず楽しんでいた。