恩人について

「すずめのさえずり」 第三回

殴られると痛い!?

 すっかりK-1にハマった私は、勢い余って高田馬場の正道会館(K-1の運営母体であった空手団体)東京本部に入門してしまった。ケンカもしたことないのに。

 テレビではスーパーヘビー級の相手に比べて小さく見えた佐竹選手もアンディ選手も、そばで見るととてつもなくでかかった。

 休館日に間違えて行ったらアンディがいて、「ヤス~ミ~」「お、押忍……」と言葉を交わしたのはいい思い出。

 指導員には当時正道会館の全日本空手道選手権王者だった子安慎吾(こやすしんご)選手や、マンガ「グラップラー刃牙」の刃牙のモデルと言われた平直行(たいらなおゆき)選手がいた。

 そういえば二代目グレート草津選手もいて、5級(白帯)から4級(黄帯)の昇級審査は一緒に受けたのだ。なんか角田信明(かくだのぶあき)師範代に怒られてたなあ。やはり素人のお客さん弟子とプロ志望の人は扱いが違ったのか。

 大学にも正道の同好会があって、そこの主将だったのが、後に〈戦う電通マン〉としてK-1にも参戦した大渡博之(おおわたりひろゆき)さん(これもYouTubeにある)。

 軽~くちょん、と蹴られただけで、スネに木刀でも入ってんのかというくらい痛かった。

 一度だけだが試合にも出た。東日本新人戦Bクラス(2級以下の初心者の部)の軽量級(62kg以下)。当時は、53kgくらいしかなかったな。対戦相手もそんなに大きくなかったかな。

 これで私も空手家だ。ひとつ華麗な上段回し蹴りでも決めてやるか。それとも地道に下段で削るか。悪く思うなよ。これも定めだ。

 ところがいざ試合が始まると、大変なことが起きたのだ。あろうことか、なんとそいつは思いっきり殴りかかってきたのである。

 おいちょっと待て。俺がおまえに何をした。よせよ、今会ったばかりじゃないか。それをおまえ、なにマジになってるんだ。シャレの通じんやつめ。

 「殴られると痛い」ということを学んだ私はじき空手は辞めてしまったが、得たものは大きかった。おそらく自分で思っている以上に。

落語協会謝楽祭で、林家彦いち師匠の
 板割りをお手伝い

 アニメに没頭するあまり、いわゆる「引きこもり」と呼ばれるような状態になる可能性はじゅうぶんにあった。

 そうならずに済んだのは、ほんのわずかな、本当に些細な歩みの違いによるもので、それがこの空手経験だったのかもしれない。

 あのとき偶然ラジオで佐竹選手を聞いていなかったら、私はどうなっていたのだろう。

 ただファンとしてアニメや声優さんを楽しむだけで、自分がそちら側に行くために行動を起こすことはなかっただろう。

 声優養成所にも行っておらず、ということはそこから進んだテアトル・エコーで師匠に出会うこともなく、落語家になることもなかっただろう。

 そういう意味で、佐竹雅昭という人は、まぎれもなく私の人生を変えてくれた恩人であった。