うるささや 岩にしみ入る 俺の声

「朝橘目線」 第7回

声がでかい落語家、悲喜こもごも

 うちの師匠・三遊亭圓橘は、芸については何かと口うるさいが、声量には特に厳しい。

 師匠が弟子や新入りの者に必ず稽古をつけるのが『半分垢』という相撲噺と、『蟇の油』の二席。相撲の稽古風景のマクラや、蟇の油売りの口上を通して声の出し方、大きな声をしっかり出すことを学ばせる意図があるらしい。

 私が二ッ目に昇進した時、お披露目の会で師匠から口上を述べてもらった。

 「こいつは声が大きいです。これは家で言うなら基礎、土台ができているのと同じこと。後はその上に、自分なりの家を建てるだけ」

 弟子を褒めない師匠が珍しく、そんなことを言ってくれた。しかも特に厳しい声について。そうか、自分の声は武器なんだ、取り柄なんだ。とても誇らしかった。あれで一つ、自信が付いた気がする。

2017年9月、故郷・沼津での真打披露での口上風景。人前で黙っていた貴重な瞬間(口上の際、主役は喋らない慣例)

 ところが、だ。この武器がどうも時々、こっちに刃を向ける。

 家族でおでかけ中、娘たちが走ったり騒いだり。もちろん私は注意する。放置でニコニコなんて甘っちょろい親ではない。すると妻が私を叱る。悪さしてるのはそっちの小児だろう?と思うと、そうじゃない。「声が大きい」と。

 高座じゃあるまいし、特別声を張ったりもしていない。なのにうるさいらしい。「周りの人からやばい親だと思われるよ」などと、大げさなことを言ってくる。でも仕方ない。こちとら二十年、板の上で声出してんだ。職業病とでも言うべきか、噺家稼業にはこんな落とし穴もあるんだな、と反省した。

 が、どうやらそれも違うようで。「落語家だから声がでかい」をさらに超えて「落語家の中でもうるさい」扱いをされる。

 我が五代目円楽一門会の主戦場、お江戸両国亭の客席に、投書箱が設置されたことがある。お客様の声をお聞かせください、というやつだ。

 ある時、「舞台袖の橘也(筆者の前名)さんがうるさい」と名指しで書かれていた。ほかにも声でかい人いるでしょう!と思ったが、その時その場にいた全員、誰もそう言ってくれなかった。

 うちの師匠のお供で行った酒席にて、お客様と杯を傾け、話していたら急に師匠が「お前は声がでかいんだよ!」と怒り出したこともある。……あなたのお墨付きですよ? しかもその怒鳴り声も結構な音量ですけど?とは、言えなかった。

 子どもの頃、家で食事していると父親が「何だその箸の使い方は!」と叱りながら、箸で私を叩くことがよくあった。そっちのほうが使い方、間違ってるだろ!と思ったが、言えなかった。理不尽に事欠かない人生だ。