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〈書評〉 若手だった師匠たち 年間1000席の寄席通いノートから(寺脇研 著)

「芸人本書く派列伝 オルタナティブ」 第7回

ページの隙間から現れる1980年代の寄席

 それで朝太の項を見る。

「ひとたび接すると、まず忘れられない」強烈な個性、「思い切りオーバーな演じ方」「珍妙な顔つきをしてみせたり、奇声を発したりさえする」とある。たしかに後年そういう評価をされていた時期があったが、自分自身で聴いた朝太にはそういうところが感じられなかった。まだ私が落語の耳がなくて、ぼんやりと聴いているだけだったからだろう。

 朝太と故・桂枝雀の類似についても言及されていて「オーバーな所作をみせた直後、『わ、枝雀師匠そっくりだ』とひとこと言ってから次へ進むときがある」とされている。当時そんなことを思った記憶はないのである。枝雀の落語を聴いた回数が少なかったからだろう。

 扇好の項は、「入船亭扇好の落語には、若さと、同時に明朗さがある」という一文で始められている。こちらはなんとなく残っている記憶と一致する。そうだ、爽やかな落語を聴いた、という印象があったのである。もちろん当時の高座を逐一自分で記録していたわけではないが、なんとなくの呼吸は憶えているものである。

「狸の札」では、訊ねてきた狸が初め、ふにゃふにゃとしたことを言って胡麻化そうとする。「『誰だい?』『ファヌフィです』『タツ公かい?』『ファルフィです』という応酬を重ねた後で、突然はっきりと『タヌキです』。じらしておいて急にサラッという呼吸がなんともいえない」というのが当時の扇好の高座だったそうだ。この「サラッという呼吸」の部分に私の記憶は反応するのである。そういえば、そんな感じだったような。

 各評にはこういう限定的な記憶が封じ込められている。時評は、そのままにしておけば菅(かな)らず忘れ去られてしまう記憶を文章の形で留める働きを持っている。単純に言えば、歴史的記述として重要なのだ。

 当時の寺脇には「昨日今日の駆け出しの落語ファンに過ぎな」かったから、「成長途上の二ツ目や若手真打と併走して、現在進行形で試みを重ねている彼らの落語の魅力を綴るのが、己にできるせいぜいの作業」であるとの自覚があった。だが、その作業がなければ失われていたはずの歴史が、こうして残されているのである。

 この連載は、タイトルにあるとおり「芸人本」を主として取り上げるつもりで、「芸人論」「芸論」にはあまり深入りしない。私が関心を抱いているのは「芸人」と「芸」で、それを論じるには自身の体験が不足していると考えるからだ。他人の「論」を評価できるだけの下地が私にはない。

 今回例外的に寺脇の「論」を取り上げたのは、これが同時に1980年代の落語史にもなっているからである。