水茄子とジンジャーエール

シリーズ「思い出の味」 第15回

水茄子とジンジャーエール

今も思い出す、懐かしい味と、かけがえのない時間の記憶

林家 彦三

執筆者

林家 彦三

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 水茄子が出た。新宿の飲み屋であった。注文したわけではないが、お客さんにいただいたので、ということで、いわゆるお裾分けというやつで、それは伊万里焼の小皿の上に等間隔に輪切りで並べられ、黄色い辛子を添えられて、色彩豊かに、現れた。さて、これはビールか焼酎かと思ったが、私はその日、事情で呑めなかった。次の日が稽古で、全くさらっていなかったのであった。ただどうやら寂しがりのようで人と話したかったので、この馴染みの店に顔を出しただけなのである。不意に水茄子に対面したからには呑んでも良かったのだが、思いとどまった。私はこの日の私を褒めてやりたい。頼んだのは、ジンジャーエール。ノン・アルコール。水茄子と、ジンジャーエール。

 私は、常に妙な取り合わせについて考えている。なにも、近代俳句的手法というわけでもない。そんなことを言うとまたヒコザが気取っていると言われる。わかっている。ただ、妙な取り合わせというのは、これはおそらく俳句をかじったことのある方の、一つの癖であろうとも思われる。何かと、結びつかなそうな、何か。あるいは隣に合わせると風情を生み出す、何か。それらの生み出す、効果。シュルレアリスムとか、そういう月並みな横文字をもってくると、痛々しい。そうではなくて、ただその妙な取り合わせを、なぞかけよろしく探しているだけなのである。例言せよと言われると難しいが、電線のからまっている、夜空、見上げれば、仲秋の名月、どうだろう、つんつるてんの紬(つむぎ)の着流しに、金のない噺家、トレンチ・コート、そんな冬の一日、ちょっと気障だろうか。雑俳のようなもの。ただ、そういうことである。そこにきて、水茄子とジンジャーエール。これはわれながら妙な取り合わせであった。水茄子と、ジンジャーエール。