師走と義士伝

「コソメキネマ」 第八回

浪曲と義士伝

 講談も多いと思いますが、浪曲も「浪曲といえば忠臣蔵」といわれることもあるくらい、浪曲の演目に義士伝は数多くあります。私の師匠・港家小柳も、義士伝を多く持っており、以前「どの演目が好きですか?」と師匠に尋ねたところ、「大石妻子別れ」という答えが返ってきました。義士伝に思い入れを持つ浪曲師は少なくないような気がします。

 12月になると、木馬亭定席でも忠臣蔵特集が毎年組まれます。今年は私も定席の忠臣蔵特集に出番をいただいて、「恨みの十四日」という演目を掛けました。

 義士伝にも色々ありますが、この演目はどれにも当てはまらない、「なぜ松の廊下の刃傷が起こったか」(フィクションですが)という話です。不思議な後味の演目で、あえていうなら、その土地に残る昔話のような趣があります。そういえば、こちらの話の舞台も笠間でした。

 以前、ある年上の浪曲師の方と話していた時に、「忠臣蔵の話はよくわからない」と仰っていたのを聞いたことがあります。私より上の世代の方でもそう感じる人がいるのかとその時、思いました。現代の感覚としてはそういう方が多いのかもしれないなと思うこともあります。

 年末といえば忠臣蔵のドラマという時代もありましたが、今はそれもなくなり、「忠臣蔵って何?」みたいな人も多いでしょう。なんとなく皆が知っているだろうと思っている義士の話も通用しなくなっているかもしれず、義士伝もやりにくくなるような気がします(そろそろ大河ドラマでやっていただきたいなー)。

 私自身は、義士伝が好きです。主要人物だけで47人以上、群像劇から個人の話、その周辺の人たち、後日談等々、話の種類が豊富、虚実入り混じったところも面白く。なにより義士の物語が心を打つのは、別れの物語だからではないかと思っています。やむにやまれぬ状況、二度と会えない人たち、それを知りながら見送る人たち、そういう感情は、昔も今もそう変わらないと思いますし、義士伝に浪曲という芸能はよく似合うような気がします。

『広報かさま』スマートフォン版(令和7年12月号)