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雪のココア

シリーズ「思い出の味」 第19回

そんな日々の中、冬。
王子までカバン持ちでついていき
落語会が終わった後
師匠に先に帰るように言われた。

内弟子をやって一年と数ヶ月目
“外”で“一人”になる瞬間は何度かあったが
王子から電車に乗って師匠宅まで
かなりの長時間ひとりになれることになったその時
京浜東北線から山手線に乗り換える田端駅のホームで
ある計画が脳内を駆け巡った。

ポケットに小銭がある。
ホームに自販機があり
まだ電車が来ていない。

どう考えても自販機でココアを買うチャンスだ。

雪……は降っていただろうか。
思い出補正かもしれないが、雪が降っている。

財布を持っていなかった当時
ポケットの中に
万が一のためにしのばせておいた硬貨。

足りる。
もしかしたらこういうチャンスがあるかもしれない
と無意識に頭の片隅にあったから足りる。

裸一貫で入門した自分にとって
これを支払うことで全財産のほとんどが消えるが
どうする……
と、考える間もなく
震える手はすでに
自販機の-に硬貨を入れていた。

“ガタン”

出てきてしまった。

本当に出てきてしまったのだ……。

師匠にはココアを買うことの
お伺いを立てていないが
もう出てきてしまったのである。

缶を両手で握った途端
私の半径1メートルは
ココアのあたたかさにつつまれた。

あったか~いで肌感覚が回復したゆびで
タブを開け
一息ついてから
口の中へココアがはこばれてゆく。

入門前もよくココアは、粉末のものを好きでよく飲んでいた。
お湯よりも牛乳で溶かした方がコクがあるような味わいになる
というそのくらいの感覚でいた。

そのくらいの感覚で
脳は味わおうとしていた。

しかし、現実は違った。

まず鼻腔(びくう)が驚いたのが
特別なバターを溶かしたかのような濃厚な芳香
それが内部から私をあたためはじめた。
次に喉から食道、胃がチョコレート工場にでもなったかのように
カカオが主張をくりひろげるのだ。