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〈書評〉 〈声〉の国民国家 浪花節が創る日本近代 (兵藤裕己 著)

「芸人本書く派列伝 クラシック」 第10回

〈書評〉 〈声〉の国民国家  浪花節が創る日本近代 (兵藤裕己 著)
杉江 松恋

執筆者

杉江 松恋

執筆者プロフィール

桃中軒雲右衛門とは何者だったのか

 浪曲の隆盛がまさか明治の国民国家・日本成立に結びつくとは。

 兵藤裕己『〈声〉の国民国家 浪花節が創る日本近代』(講談社学術文庫)を初めて読んだのは、浪曲に対する関心を本格的に持ち始めたころだったので、おそらく2010年代後半ではないかと思う。本書の元版は2000(平成12)年に日本放送出版協会から『〈声〉の国民国家・日本』の題名で刊行され、2009(平成21)年に文庫化された。

 兵藤は学習院大学名誉教授で、日本中世文学および芸能論を専門としている。日本の芸能史研究者としては重要な存在であり、講談の源流についての考察でもあり、サントリー文学賞を受賞した『太平記〈よみ〉の可能性』(現・講談社学術文庫)、盲僧琵琶についての基礎的な研究書となる『琵琶法師』(岩波新書)などの著書がある。

 語り芸に関心がある人にとっては外すことのできない研究者で、2025(令和7)年には集大成ともいえる大著『物語伝承論』(青土社)を上梓、第77回読売文学賞を研究・翻訳部門で受賞している。

『〈声〉の国民国家』は、近世から近代にいたる浪花節成立の前史をまず述べ、中興の祖と言われる桃中軒雲右衛門(とうちゅうけんくもえもん)はどのような期待を背負って登場したか、また彼の成功が何をもたらしたかを詳しく検証する。雲右衛門こそが本書の主人公であり、だからこそ、表紙にも彼の肖像写真が採られているのである。

 本題に入る前に書いておくと、本書には浪曲研究上の重要な事実が指摘されている箇所が多く、備忘のために付箋を大量に貼り付けながら読まなければならなかった。

 一例を挙げれば、浪花節の源流には、語り芸である「チョボクレ・チョンガレ」がある。チョボクレは主として江戸、チョンガレは上方で、それぞれ都市部で発生した軒付けの芸能である。このうちチョンガレは、ごく最近まで新潟県の中越地方に座頭の語り物として残っていた、と兵藤は書く。生業としてはその通りで、現在も文化保存のために演じる人はいるはずである。音でしか聴いたことはないが、浪花節ではなく、本当に軒付け芸の形である。

 このチョンガレの用語について、私はずっと気にしていた。たとえば、青森県の「ヂョンガラ」はここから派生した言葉ではないかと思っていたのだが、本書にはそのことに対する言及もあった。なかなか本では見ないのである。

 このように、浪花節=浪曲隆盛の歴史を語るだけではなく、そこから派生した脇道についても網羅されている一冊なのである。