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〈書評〉 香盤残酷物語 落語協会・芸術協会の百年史 (神保喜利彦 著)

「芸人本書く派列伝 オルタナティブ」 第8回

〈書評〉 香盤残酷物語 落語協会・芸術協会の百年史 (神保喜利彦 著)
杉江 松恋

執筆者

杉江 松恋

執筆者プロフィール

落語界を動かす「見えない序列表」

 しろうとにはよくわからないものに香盤がある。

 わからないというか、当の芸人にとっては重要なものなので、関係ない人間が首をつっこむべきではないということでもある。立川談志は後輩の古今亭志ん朝に真打昇進で香盤を抜かれたことを一生言い続けたとか、伝わる話はたくさんあるのだが、ふんわりとした理解に留まっている。

 その香盤表について調査したのが、神保喜利彦『香盤残酷物語 落語協会・芸術協会の百年史』(夜霧書林)である。ご存じのとおり神保は、力作『東京漫才全史』(筑摩書房)の著者である。1996(平成8)年生まれでまだ20代と若いのだが、学生時代からこつこつと演芸に関する資料を集め続け、地道な調査を重ねてその実態を掴もうと日々努力している。その知識量には驚かされるし、感嘆すべき熱意の持ち主だ。

 月刊で「藝かいな」というミニコミ誌を刊行しており、通信販売もしている。私も定期購入者の一人で、いつも興味深く読んでいる。

『香盤残酷物語』の第一章「そもそも香盤とはなんぞや」の書き出しを引用する。

 神保は、香盤システムができあがったのは1923(大正12)年の関東大震災以降であったとする。それ以前にも芸人のランクは存在したが、香盤という形で表に出ることはなかった。

 現在のような香盤が公にされたもっとも早い例は「都新聞」1925年1月1日号に掲載された賀正新年の広告であるという。それ以前の名前のいろは順ではなく、明らかに権力順とわかる形で幹部の名前が掲載された。そのときの筆頭は三代目柳家小さん、あの夏目漱石にも称賛された芸人である。

 東京落語界に落語協会と落語芸術協会が成立し、寄席の定席がその2団体によって回されるようになったのは比較的あとのことであり、関東大震災から太平洋戦争体制の頃までは何度も分裂独立が繰り返されていた。それぞれの団体について神保は調べ、どのような香盤が成立していたかということを序盤で明らかにしていく。人の行き来が頻繁なので、一年ごとの動態で見ていかないと当時の勢力図は把握できないのである。