今年も、自分を悟る一年に
「噺家渡世の余生な噺」 第9回
- 落語
柳家 小志ん
2026/01/14
2014年に始まった「深川ひるま寄席」のメンバー(撮影:2016年 初席)
一、身内に知られぬ芸人
前座の頃の話である。
ある寄席では、八代目 橘家圓蔵(たちばなやえんぞう)師匠、つまりかつての五代目 月の家圓鏡(つきのやえんきょう)師匠の高座が終わると、エレベーターまでお見送りするのが暗黙の了解だった。
その日、私が師匠をエレベーター前までお送りすると、圓蔵師匠がこう言った。
「お前の名前を、客席係のスタッフさんが知っているか、訊いてこい」
私は言われるまま、客席係の方に尋ねた。
「すみません、私の名前をご存じですか?」
するとその方は申し訳なさそうに言った。
「ごめんなさい、前座さんだとは分かりますが、お名前までは……」
その返答を師匠に伝えると、
「そうだろ。身内に知られていない奴が、お客に知られているわけがない。まずは身内に知られる芸人になれ」
と、静かに言われた。
続けて師匠が言う。
「じゃあ、俺の名前を訊いてこい」
再び客席係の方に尋ねると、今度は即答だった。
「当たり前じゃない、月の家圓鏡師匠でしょ!」
その言葉を師匠に伝える前に、私はふと思った。
――身内が「月の家圓鏡」のままなら、お客にとっても橘家圓蔵は、まだまだ「月の家圓鏡」なのだと。
「何と言ってた?」
と圓蔵師匠に聞かれた時、私は即答で、
「“橘家圓蔵”師匠と言っていました」
師匠はニヤリと笑って言った。
「そうだろ。ざまあみろ」
そしてそのまま、満足げにエレベーターへ乗り込んでいった。
あの時、私は思った。
――自分は、多少は状況判断のできる人間なのかもしれない、と。
二、午年の悟り
私は、午年(うまどし、1978年生まれ)である。2026年、年男になった。
同じ午年の仲間たちと「午年五人男」という会を2014年の午年から続けている。ある年、深川江戸資料館の小劇場で催された時のことだ。開演前の注意事項を誰がアナウンスするかという話になり、当時の入りたての前座が誇らしげに手を挙げた。
「私、以前アナウンサー志望で、ナレーションもしていました。これくらいは、お任せください」
マイクの前に座ったその前座は、胸を張ってアナウンサー口調でこう言い切った。
「本日は、“牛年(うしどし)”五人男の会へご来場いただき、誠にありがとうございます!」
その瞬間、緞帳(どんちょう)の向こう側、まだざわつく客席で、笑いだけがピークを迎えた。その後の高座がどれほど真剣でも、客席は「牛年の会」として記憶したことだろう。

おかしなもので、前回この連載でも「私は午年である」と原稿に書いたところ、初校で「うしどし」とルビが振られていた。活字の世界の専門家でさえ「うま」を「うし」と読んでしまうのなら、世の中の“誤読”というのは、案外そんなものなのかもしれない。
私はその時、肩の力が抜けるような小さな悟りを得た。
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