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流麗にして弁舌 一龍斎貞鏡 (中編)

「釈台を離れて語る講釈師 ~女性講釈師編」 第2回

一龍斎の芸への思い

――一龍斎であるということは、どんな風に思っていますか?

貞鏡 師匠を亡くしてから特に考えるようになりました。それまでは繰り返しになりますが、わかりやすさを求めすぎていたという自覚がありました。師匠を亡くして、真打昇進が決まった時に、私は一龍斎。一龍斎と言えば流麗に、赤穂義士伝であれば滔々と読まなければならないのに、私は師匠からは七席しか教われなくて、肝心の『赤垣源蔵』や『天野屋利兵衛』『南部坂雪の別れ』『二度目の清書』は間に合わなかったんです。真打になったら教えていただきたいと思っていたのが、急に亡くなってしまって……。

 でも、師匠の高座をいつも見てきて、あの芸は私にしか残せないと思っていますので、意識して『赤穂義士を読む会』をはじめて、意識して師匠が大事にしていた『修羅場勉強会』も始めて、意識して師匠が遺してくれた、得意とされていた演目に挑む『八代目貞山十種に挑む会』を立ち上げたんです。

 そうした会でがむしゃらに必死になっていたら、ある時、師匠のお客様が来てくださって、「貞山先生の読み物を残そうというあなたの気持ちがわかりました。ただそればかりだと今の内から固まってしまうので、貞鏡さんがやりたいのをもっとやっていいと思うよ」と、それも帰りがけにサラリと仰っていただいたことに、心の負担がパッと解き放たれたようでした。

 気負う必要はない。しかし師匠の遺してくれた読み物には生涯挑んでいきたいですね。たとえ滑稽話を読んでいても、その中の肝となるところでは、流麗さや七五調、謳い調子を入れたりと、そのことは忘れずにいたいですね。

 昔からの教えの中には、「一龍斎は謳い調子だから侠客をやるべきではない」というものがあります。侠客をやると侠客の口調になってしまうので流麗に読めなくなるという。ただ私は、生意気ながら、謳い調子を勉強しながら侠客も勉強し、使い分けできるようにしていきたいなと思っています。

――(神田)愛山先生が同じようなことを話していました。何でも読めばいいんだ、読んでいって、自分の口調に合うものもあるし、国定忠治の口調と浅野内匠頭の口調が違うということに気付ければいい、それが講釈師の勉強なんだと、そんなことを話していました。

貞鏡 本当ですか。ホッとしました。

――そうでないと新作にも取り組めませんしね。

貞鏡 自分の口調に合わないなと思えば、違うやり方を見つけていきたいと思っています。そして、教えていただきたい話は、すぐに教えてもらおうと決めました。