席亭への道 ~服部、落語に沼る人生
月刊「シン・道楽亭コラム」 第2回
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#3 目からうろこは本当に落ちる ~小三治古希、私55歳の頃
仕事結婚仕事子育て仕事介護仕事病気仕事……であっという間に30余年が過ぎ去った。大学を出たてだった私も、50代になっていた。
その頃、とある職場で出会った少しだけ年上の同僚が「落語が好きで、主人とよく落語会に行くのよ」と、楽しげに伝えてきた。世間話の端くれに耳にする久しぶりのワード「落語」。それがはずみだった。
私の中に「落語を聴いてごらんなさい、何かが変わるから。できればナマの落語よ」、その昔、新米教師だった頃に言われた言葉がふと蘇った。
私は彼女に尋ねた。今思えば、ずいぶんと食い気味に、矢継ぎ早だったと思う。
「落語って、どこで聴けるんですかッ!?」
「…………寄席とか、独演会だわね(少し引いている)」
「どうやって、聴けばいいんですかッ!?」
「木戸銭や入場料を払って……(当たり前だ)」
「誰を聴いていいか、分かりませんッ」
ここで彼女の目がキラッ。
「……小三治ネ」
彼女の言葉に従い、行きました、聴きました。旭日小綬章受章の頃、国宝まであと少しの頃の柳家小三治『転宅』は、目からうろこが2枚くらい確かに剥がれるほど、私に衝撃をもたらした。
小三治目当ての落語会で、私は別の衝撃に出会った。弟子の柳家三三。自然と彼も追いかけるようになり、2014年1月よみうりホールでの『橋場の雪』、同年5月の「月例三三」における『転失気』『青菜』『藁人形』に心を打ち抜かれ、完全にやられた。
その後も聴くたびに「1ま~い、2ま~い」と目からうろこが剥がれていっている。