茶色いうどん
シリーズ「思い出の味」 第6回
- 落語
大人のいない日、僕らの料理
それから僕と5つ下の弟は、父に育てられることになる。とはいえ、離婚後の約1年間は母も家にいた。
別居の準備期間だったのか、あるいは引き継ぎのような期間だったのか。とにかく一緒に暮らしてはいたけれど、生活は別の、家庭内別居。
母はそれまで専業主婦だったので、離婚後のその期間はやることがなく、ほとんど部屋にこもっていた。今考えると、そういう状態は精神衛生上、あまり良くなかったのだと思う。
僕ら兄弟の学校が休みだった、ある午後のこと。その日、大人が食事を用意してくれなかった。その日は母だけが在宅だったから、大人間の取り決めとしてはおそらく、兄弟の世話は母が担当するはずだったのだろう。けれど、一日中部屋から出てこなかった。
寝ているのかと思い、起こしに行ったが、うんうんと唸っていて、どうにも起きてきてはくれなかった。僕らも、朝からなにも口にしておらず、お腹が空いた。さて、どうするか。
大人の監督なしでキッチンに立つのは初めてだった。たしかに困った状況だけれども、生まれて初めて一人で料理するということに、興奮していた。
とはいえ、できることも限られている。冷凍庫にあったうどんを鍋でゆでて、見よう見まねで水道水でしめる。麺つゆを割ってかけ、丼に盛りつけたかけうどんが三杯。ちゃんと完成した。
弟には、「なんでもないことだよ」という顔で差し出す。でも内心は、ドキドキしている。弟が啜るのを横目に確認して、自分も食べる。
味は至ってふつうだけども、自分で作ったという満足感で胸が溢れていた。
「大人がいなくても、なんとかなるじゃないか」
うどんを食べ終わって、食器も洗った。そして残った一杯は母の分なので、冷蔵庫にしまった。起きてきたら食べさせてあげるつもりだ。そんな自分を「気の利く子どもだな」と、ちょっと誇らしく思った。
数時間後、母の部屋から物音がしたので、「今だ」と思って冷蔵庫からうどんを出した。しかし、部屋に持っていく途中で気がついた。うどんの麺がつゆを吸って、すっかり茶色く、ふやけきっていたのだ。
仕方がないので、そのうどんは母に出さず、自分で食べた。しょっぱくて、ボロボロ。そんな麺を啜りながら、ある種の“焦り”のような感情に襲われたのを、今でもはっきり覚えている。
結局のところ、うどん一つ、まともに作れなかったのだ。麺がつゆを吸うなんて、少し考えればわかったはずなのに。つまり、自分はなにも理解せずに、ただ大人に任せて生きて来たんだと気付かされた。
このままじゃまずい。誰かが世話をしてくれるのは、もう当然じゃない。8歳にしてそう思えたのは、ある意味で僕の人生最大のラッキーだったと思う。