茶色いうどん

シリーズ「思い出の味」 第6回

あの日のように

 家事にしても、何にしても、自分でできることを増やさなければ。一人で生きていける力を持たなきゃいけない。そうなると、いちばん大事なのは「仕事」だ。

 この社会で生きていくには、なにか一つでも「お金がもらえる技術」を身につけないといけないんだと、その頃からうっすら考えるようになっていた。

 そして、小学校高学年くらいだったろうか。「自分は喋ることに関しては、ちょっと得意かもしれないぞ」と思いはじめた。ひょっとしたらこれが、商売になるかもしれないと。

 けれども、テレビやラジオで芸人さんのトークを聞くと、やっぱり自分よりはるかに面白くてうまい。それが悔しくて、スキルアップのために中学時代はポケットサイズのネタ帳を持ち歩いていた。

 話題の切り出し方や喋り方のポイントを思いついたらすぐ書きつけ、友達との会話でこっそり試してみる。急にエピソードトークを始めたり、やたら大げさなツッコミを入れたりしていたから、今思えば、かなり不気味な同級生だったと思う。

 やがて中学を卒業する頃には、すっかり自信をつけ「将来は、喋りで人を楽しませる仕事をしよう」と決めた。つまり芸人になるということだ。

 そして高校在学中に落語と出会い、落語家になる。だから、振り返ってみれば──あの茶色いうどんを食べた日。あの日が、僕の芸人としての“はじまり”だったのかもしれない。

 今、ありがたいことに落語家としていろんな場から声をかけてもらっている。今年(2025年)の2月には、「公推協杯 全国若手落語家選手権」で大賞をいただいた。つまり、芸歴15年以下の落語家の中で「日本一」の称号を得た。

 そんなこともあってか、おかげさまで毎日それなりに忙しくしている。でも、忙しいとなんとなく、心が満たされてしまう気がして、ちょっと嫌だ。

 なぜかと言えば、芸人には常に「不満」が必要だと思うから。芸人は、不満を食い物にして面白くなる生き物だ。不満がなければ、それ以上はもう伸びないんじゃないか。

 社会的不満。経済的不満。容姿の不満。そして、自分の芸への不満。なんでもよい。それらの不満をエネルギーに変えて、芸に昇華するのが健全な芸人だと思う。

 だから、不満を持ち続けるためにも、常に挑戦をしなきゃいけない。そして、思いきり失敗しよう。

 ──あの日のうどんのように。

(了)