日本海のエセ貴族
神田伊織の「二ツ目こなたかなた」 第3回
- 講談
神田 伊織
2025/06/26
避難訓練と階層
ふと気がつくと、船は動き出していた。出航は22時の予定だった。時計を見ると、ちょうど時間を過ぎている。
程なくして船内に警報のような音が響いた。避難訓練がはじまるのだった。
救命胴衣を身につけて部屋から出る。階段まで行くと、いずれも同じオレンジ色の救命胴衣を身につけた乗客が、続々と集まっていた。年配の夫婦が多いが、子ども連れの家族もいるのは、学校を休ませて旅行に来たのだろうか。自然と列ができて、小中学校の避難訓練よろしく、指定されたデッキへぞろぞろと向かった。
デッキにはすでに大勢の乗客が集まっている。金沢を出港したこの船の乗客は、北陸の人たちが大半のようで、関西弁に似たような方言が耳に入る。
クルーの指示に従って、5人1組の列を作る。緊急時の振る舞いについて、英語と日本語で説明された。黙って耳を傾ける人もいれば、家族や仲間うちで話し続ける人もいる。あまり緊張感のないところも、小中学校の避難訓練に似ていた。
やがて解散となる。デッキを埋め尽くしていた救命胴衣の群衆が、それぞれの部屋へと帰る。階段を上る者もいれば下る者もいる。階を上がるにつれて、徐々に人は減っていく。
クルーズ船には、露骨な階層がある。料金によって部屋のグレードがまるで違う。手ごろな価格でも乗れるが、その場合の船室は下層階の窓のない部屋となる。もう少しお金を出すと、部屋に窓がつく。料金に応じて階が上がっていき、部屋の種類も食事も変わる。
部屋数は1500室。最大で3780人まで乗れるが、これは乗客だけの話で、むろん船にはクルーも乗っている。総勢1100名。この人たちは、乗客の最下層階のさらに下、文字通りの船底で暮らしている。
ほとんどが東南アジアの人々で、数カ月間の一時的な仕事として船に乗り込み、日本円で数万円という月給で働き、乗客の贅沢を支えているのだった。

部屋に戻ると、救命胴衣を放って服を脱ぎ、またベッドに飛び込んだ。
この3年は、あっという間だった。求められるままにどんな仕事もした。自分で会も企画した。古典も新作も手広く手がけた。月に4本のネタおろしをこなし、まともな人間生活を放棄してがむしゃらに働いた。
そうして今、どうなったか。講談だけでつつましやかな暮らしがどうにか成り立っているが、数カ月後にも同じように稼げる見込みはない。絶えず集客に頭を悩まし、台本作りに追われ、十分にネタを覚えきれないまま高座に上がっている。日常を穏やかに楽しむような心持ちとは、長らく無縁である。
芸界もまた、苛烈な格差社会だった。ごく一部の売れっ子だけがバルコニーつきのスイートルームを許され、たいていの者たちは船底でのたうちまわっている。
これからどうするか。
「ハロー!」
ドアをノックする音がして、廊下に陽気な声が聞こえた。慌ててベッドを飛び出し、ズボンを穿いてよろよろと出入り口へ向かう。スイートルームにパンイチは似合わない。
「☆●△◎×◆?」
勝手にドアが開けられて、我がお供のバトラーが何か言ってくる。
「サンキュー、ノープロブレム、アイドゥライクトゥースリープ」
にこやかに、優雅に追い返し、王侯貴族も楽ではないなとうそぶいた。
(不定期連載)
いま読まれています!
「釈台を離れて語る講釈師 ~女性講釈師編」 第14回
自分らしく、まっすぐに 神田菫花(前編)
~魅力と素顔に迫るインタビュー
瀧口 雅仁
2025/10/28
「ずいひつかつどお」 第5回
ころもあればらくあり
~恐れずに変ればいい
立川 談吉
2025/10/27
シリーズ「思い出の味」 第14回
馬琴と琴星と琴鶴と琴人と ~師弟の食事はいつもちぐはぐ
~どじょう鍋からサンドウィッチまで。師弟の食卓は、人生の味がする
宝井 琴鶴
2025/10/17
「マクラになるかも知れない話」 第三回
となりは鼻うがいをする人ぞ
~ねぇママ、パパは何をしているの?
三遊亭 萬都
2025/10/22
鈴々舎馬風一門 入門物語 第2回
ドンといけ美馬 (後編)
~一度は諦めた落語の世界
鈴々舎 美馬
2025/05/02
三遊亭好青年の「スウェーデン人落語家の不思議な旅」 第1回
思いがけない旅の始まり
~落語に出会った日、私の運命が変わった
三遊亭 好青年
2025/05/25
「宇宙まで届け! 圧倒的お転婆日記」 第6回
ビール飲み干し、そしてわたしに秋が来る
~時にヒリヒリ、時に爆笑の舞台裏
東家 千春
2025/10/03
「釈台を離れて語る講釈師 ~女性講釈師編」 第5回
あふれる情熱と笑顔 神田鯉花(後編)
~魅力と素顔に迫るインタビュー
瀧口 雅仁
2025/06/28
「すずめのさえずり」 第四回
コーヒーと初恋
~人生の甘苦いひととき
古今亭 志ん雀
2025/10/26
鈴々舎馬風一門 入門物語 第1回
ドンといけ美馬 (前編)
~運命のいたずらで落研に
鈴々舎 美馬
2025/05/01
「釈台を離れて語る講釈師 ~女性講釈師編」 第14回
自分らしく、まっすぐに 神田菫花(前編)
~魅力と素顔に迫るインタビュー
瀧口 雅仁
2025/10/28
「ずいひつかつどお」 第5回
ころもあればらくあり
~恐れずに変ればいい
立川 談吉
2025/10/27
「ピン芸人・服部拓也のエンタメを抱きしめて」 第6回
私が落語に感動した日 ~学校寄席の桂さんと鶴瓶師匠
~今も大切な記憶の宝物
服部 拓也
2025/10/25
「すずめのさえずり」 第四回
コーヒーと初恋
~人生の甘苦いひととき
古今亭 志ん雀
2025/10/26
月刊「浪曲つれづれ」 第3回
2025年7月のつれづれ(沢村豊子の急逝、広沢美舟の10周年)
~浪曲界は至宝を失った
杉江 松恋
2025/07/09
鈴々舎馬風一門 入門物語 第1回
ドンといけ美馬 (前編)
~運命のいたずらで落研に
鈴々舎 美馬
2025/05/01
「マクラになるかも知れない話」 第三回
となりは鼻うがいをする人ぞ
~ねぇママ、パパは何をしているの?
三遊亭 萬都
2025/10/22
「講談最前線」 第8回
2025年10月の最前線 【前編】 (神田紅佳インタビュー)
~一年の集大成! 木馬亭での独演会に注目
瀧口 雅仁
2025/10/04
シリーズ「思い出の味」 第14回
馬琴と琴星と琴鶴と琴人と ~師弟の食事はいつもちぐはぐ
~どじょう鍋からサンドウィッチまで。師弟の食卓は、人生の味がする
宝井 琴鶴
2025/10/17
「コソメキネマ」 第六回
58回目の豪華浪曲大会
~二代目菊春師匠がご出演の『がんばれ!盤嶽』をご紹介!
港家 小そめ
2025/10/23
「マクラになるかも知れない話」 第三回
となりは鼻うがいをする人ぞ
~ねぇママ、パパは何をしているの?
三遊亭 萬都
2025/10/22
「けっきょく選んだほうが正解になんねん」 第4回
上方落語大会議「なんぼでなんぼ」
~苛酷な仕事、ギャラなんぼやったら行く?
桂 三四郎
2025/10/24
「コソメキネマ」 第六回
58回目の豪華浪曲大会
~二代目菊春師匠がご出演の『がんばれ!盤嶽』をご紹介!
港家 小そめ
2025/10/23
「ピン芸人・服部拓也のエンタメを抱きしめて」 第6回
私が落語に感動した日 ~学校寄席の桂さんと鶴瓶師匠
~今も大切な記憶の宝物
服部 拓也
2025/10/25
「エッセイ的な何か」 第5回
10/9は、アメリカンドッグの日 →兄さんに呼び出された男の困惑
~その男は『ドッグ』と呼ばれた!
三笑亭 夢丸
2025/10/21
「宇宙まで届け! 圧倒的お転婆日記」 第6回
ビール飲み干し、そしてわたしに秋が来る
~時にヒリヒリ、時に爆笑の舞台裏
東家 千春
2025/10/03
「ずいひつかつどお」 第5回
ころもあればらくあり
~恐れずに変ればいい
立川 談吉
2025/10/27
「すずめのさえずり」 第四回
コーヒーと初恋
~人生の甘苦いひととき
古今亭 志ん雀
2025/10/26
「釈台を離れて語る講釈師 ~女性講釈師編」 第14回
自分らしく、まっすぐに 神田菫花(前編)
~魅力と素顔に迫るインタビュー
瀧口 雅仁
2025/10/28
シリーズ「思い出の味」 第14回
馬琴と琴星と琴鶴と琴人と ~師弟の食事はいつもちぐはぐ
~どじょう鍋からサンドウィッチまで。師弟の食卓は、人生の味がする
宝井 琴鶴
2025/10/17
「令和らくご改造計画」
第三話 「内輪ノリ」
~またも前座が楽屋を混乱に陥れる!
三遊亭 ごはんつぶ
2025/10/12
「宇宙まで届け! 圧倒的お転婆日記」 第6回
ビール飲み干し、そしてわたしに秋が来る
~時にヒリヒリ、時に爆笑の舞台裏
東家 千春
2025/10/03
シリーズ「思い出の味」 第14回
馬琴と琴星と琴鶴と琴人と ~師弟の食事はいつもちぐはぐ
~どじょう鍋からサンドウィッチまで。師弟の食卓は、人生の味がする
宝井 琴鶴
2025/10/17
「“本”日は晴天なり ~めくるめく日々」 第4回
〈書評〉 悪いものが、来ませんように (芦沢央 著)
~壊れゆく絆と親子の愛
笑福亭 茶光
2025/09/30
「かけはしのしゅんのはなし」 第5回
スポーツの秋! 落語家がサーフパンツで舞台に立つ日
~筋肉は裏切らないが、笑いはたまに裏切る?
春風亭 かけ橋
2025/10/18
「講談最前線」 第8回
2025年10月の最前線 【前編】 (神田紅佳インタビュー)
~一年の集大成! 木馬亭での独演会に注目
瀧口 雅仁
2025/10/04
「マクラになるかも知れない話」 第三回
となりは鼻うがいをする人ぞ
~ねぇママ、パパは何をしているの?
三遊亭 萬都
2025/10/22
「浪曲案内 連続読み」 第6回
古典? 新作? 浪曲シートン動物記
~オオカミの足跡に宿る義理人情
東家 一太郎
2025/10/17
「エッセイ的な何か」 第5回
10/9は、アメリカンドッグの日 →兄さんに呼び出された男の困惑
~その男は『ドッグ』と呼ばれた!
三笑亭 夢丸
2025/10/21
「令和らくご改造計画」
第一話 「危機感をあなたに」
~笑撃のストーリーが今、始まる!
三遊亭 ごはんつぶ
2025/08/12
編集部のオススメ
「伯知の日本酒漫遊記 ~酒は“釈”薬の長」 第3回
三合目 ~京都漫遊記 〈壱〉
~幕末ロマンと伏見の名酒
松林 伯知
2025/10/01
「マクラになるかも知れない話」 第一回
夏の日の少年
~僕たちは、小さな冒険者だった
三遊亭 萬都
2025/08/24
シリーズ「思い出の味」 第11回
食べ物が詰まった、師匠桂三金の思い出と棺桶
~焼肉は落語
桂 笑金
2025/08/17
「令和らくご改造計画」
第一話 「危機感をあなたに」
~笑撃のストーリーが今、始まる!
三遊亭 ごはんつぶ
2025/08/12
「二藍の文箱」 第3回
前座見習に師匠見習
~今年の春、弟子を取った
三遊亭 司
2025/08/02
「くだらな観音菩薩」 第2回
阿修羅
~私は良い人なので、お気軽に話しかけてくださいね!
林家 きく麿
2025/06/16
月刊「シン・道楽亭コラム」 第2回
席亭への道 ~服部、落語に沼る人生
~還暦過ぎからが人生
シン・道楽亭
2025/06/10