日本海のエセ貴族 〈その1〉
神田伊織の「二ツ目こなたかなた」 第3回
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避難訓練と階層
ふと気がつくと、船は動き出していた。出航は22時の予定だった。時計を見ると、ちょうど時間を過ぎている。
程なくして船内に警報のような音が響いた。避難訓練がはじまるのだった。
救命胴衣を身につけて部屋から出る。階段まで行くと、いずれも同じオレンジ色の救命胴衣を身につけた乗客が、続々と集まっていた。年配の夫婦が多いが、子ども連れの家族もいるのは、学校を休ませて旅行に来たのだろうか。自然と列ができて、小中学校の避難訓練よろしく、指定されたデッキへぞろぞろと向かった。
デッキにはすでに大勢の乗客が集まっている。金沢を出港したこの船の乗客は、北陸の人たちが大半のようで、関西弁に似たような方言が耳に入る。
クルーの指示に従って、5人1組の列を作る。緊急時の振る舞いについて、英語と日本語で説明された。黙って耳を傾ける人もいれば、家族や仲間うちで話し続ける人もいる。あまり緊張感のないところも、小中学校の避難訓練に似ていた。
やがて解散となる。デッキを埋め尽くしていた救命胴衣の群衆が、それぞれの部屋へと帰る。階段を上る者もいれば下る者もいる。階を上がるにつれて、徐々に人は減っていく。
クルーズ船には、露骨な階層がある。料金によって部屋のグレードがまるで違う。手ごろな価格でも乗れるが、その場合の船室は下層階の窓のない部屋となる。もう少しお金を出すと、部屋に窓がつく。料金に応じて階が上がっていき、部屋の種類も食事も変わる。
部屋数は1500室。最大で3780人まで乗れるが、これは乗客だけの話で、むろん船にはクルーも乗っている。総勢1100名。この人たちは、乗客の最下層階のさらに下、文字通りの船底で暮らしている。
ほとんどが東南アジアの人々で、数カ月間の一時的な仕事として船に乗り込み、日本円で数万円という月給で働き、乗客の贅沢を支えているのだった。

部屋に戻ると、救命胴衣を放って服を脱ぎ、またベッドに飛び込んだ。
この3年は、あっという間だった。求められるままにどんな仕事もした。自分で会も企画した。古典も新作も手広く手がけた。月に4本のネタおろしをこなし、まともな人間生活を放棄してがむしゃらに働いた。
そうして今、どうなったか。講談だけでつつましやかな暮らしがどうにか成り立っているが、数カ月後にも同じように稼げる見込みはない。絶えず集客に頭を悩まし、台本作りに追われ、十分にネタを覚えきれないまま高座に上がっている。日常を穏やかに楽しむような心持ちとは、長らく無縁である。
芸界もまた、苛烈な格差社会だった。ごく一部の売れっ子だけがバルコニーつきのスイートルームを許され、たいていの者たちは船底でのたうちまわっている。
これからどうするか。
「ハロー!」
ドアをノックする音がして、廊下に陽気な声が聞こえた。慌ててベッドを飛び出し、ズボンを穿いてよろよろと出入り口へ向かう。スイートルームにパンイチは似合わない。
「☆●△◎×◆?」
勝手にドアが開けられて、我がお供のバトラーが何か言ってくる。
「サンキュー、ノープロブレム、アイドゥライクトゥースリープ」
にこやかに、優雅に追い返し、王侯貴族も楽ではないなとうそぶいた。(つづく)
(毎月22日頃、掲載予定)