鈴之助の弟子入り志願物語 (後編)
鈴々舎馬風一門 入門物語
- 落語
無知と無謀の先にあった希望の扉
終演後も高揚した気持ちは収まりません。もうその日のうちに鈴本演芸場から出てくる師匠を待ち受け、「弟子にしてください!」とお願いしました。
師匠は少し困惑されていましたが、「うちは親の承諾がないと弟子は取らないから、親を連れてこい」と言われ、その日は別れます。
後日、親の承諾を得たことを師匠にお伝えすべく、師匠が出演する新宿末廣亭に。その日の師匠は、十八番の『会長への道』を演じていました。鈴本演芸場で見た師匠とまったく違い、前回と別人のような雰囲気に困惑しましたが、高座に羽織を置いていったのを見て、「この師匠は、相当偉い方だ。弟子入りして間違いない」と確信しました――が、当時の私は、なりたての真打でも羽織を置いていくことを知らないほど、何も知らない奴でした。
ほどなく楽屋から出てきた師匠に、親の承諾を得たことを伝えると、名刺をいただき、師匠のご自宅に挨拶に伺う運びに。
日を改め、師匠とお内儀さんの待つ自宅に、親父と二人で緊張しながらご挨拶に伺います。やがて、お内儀さんから「噺家というのは凄く大変で、食べていくのも簡単じゃないですよ。息子さんは大丈夫ですか」と聞かれました。すると親父が「根性だけはあるから、大丈夫だと思います」と答えたのがお内儀さんに気に入られたらしく、入門を認めていただきました。
とはいえ、後になって聞いた話では、お内儀さんは私を見て「すぐに辞めるのではないか」と思っていたそうです。
カセットテープに残る「むかしむかし」
翌日から早速、修行が始まります。朝八時までに師匠のご自宅に行き、お内儀さんからまず掃除の仕方を教えていただきます。掃除をすることにより、謙虚さや奉仕の精神を養い、自我や執着を捨てる鍛錬を学びましたが、強情さは今もなかなか治りません。
自分のそんな性格が原因でお内儀さんをよく怒らせ、私の茶碗と箸をゴミ箱に捨てられたこともありました。田舎者の私は、ご飯の食べ方から何から何まですべてお内儀さんに教えていただきました。師匠はもとより、お内儀さんには本当に感謝しきれないほどの恩を感じています。
自分では田舎者と言っていますが、東京の人とそんな変わりはないと思っていたので、お内儀さんから訛りを強く指摘された時は本当にびっくりしました。そこで落語を稽古する前に、訛りを矯正するため、昔話の本を買ってくるように言われ、『竹取物語』を買っていき、これを訛りなくきちんと読む訓練をさせられました。
私が「むかしむかしあるところに」と読むと、「違う違う、『むかしむかしあるところに』」と、お内儀さんが読み、「『むかしむかしあるところ』が訛ってる」と違いを聞かされます。しかし、何度やっても「違う、『むかしむかしあるところ』」と先に進めず、「むかしむかしあるところに」を何度もやらされます。お内儀さんの嫌がらせにあって、クビにされるのではないかと恐怖心を抱いたほどでした。
お内儀さんに「自分の読んでいるところをカセットテープに録音して聞いてみなさい」と言われ、録音して聞いてみたけれど、当時の私はまったく訛りを感じられず、「むかしむかし」を呪ったもんでした。そのカセットテープが今でも手元に残っていて、今聞いてみると「こんなに訛っていたのか」と驚愕します。でも残念なことに、訛りは未だに健在で……。
大師匠の五代目柳家小さんの鞄持ちをしていた時、大師匠に私の落語を聞いていただいたことがあり、「師匠、どこか訛っていましたか」と伺いましたら、大師匠が「どこがじゃなく、全体が訛っている。お前はそれでいい」と言われ、恥ずかしい思いをしました。
こんな田舎者の私を根気よく指導してくださったお内儀さんこそ、本当の師匠ではないかと、今でも思っています。