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らあめんたべたい
立川談吉の「ずいひつかつどお」 第2回
- 落語
寒い冬を溶かす北海道の味
ラーメンが好きだ。自慢のスープや麺、こだわりの具をバランスよく綺麗に盛り付け、どんぶり一杯の中で完成させる。使っている具材はそこまで大差ないのに、店が違えば全然違う味になる。
無理矢理に落語と繋げるとするならば、同じ落語でも演る人によって全く違うものになるというところか。あっさりしたのもあればこってりしたのもある、奇をてらったものもあれば安心するような優しいものもある。どのお店を選ぶかはお客様次第であり、お店はお店のできることをするのみだ。
美味しいのもあれば、不味いのもあるのだが、美味しくても合わないものは合わないし、不味くてもまた食べたくなることもある。
あるラーメン店主がこう言っていた。美味いのは当たり前、大事なのは飽きさせないことだと。美味い不味いは好みではあるが、どうすれば飽きずに通ってくれるかを日々考えなくてはいけない。これはラーメン屋だけでなく、芸人を含め、全てのサービスに言えることかもしれない。
好みの味は、自分の年齢によって変わってくるものだ。トノサマガエルアマガエル、カエルにいろいろあるけれど、ラーメンにも色んな味がある。私は北海道の生まれなので、子供の頃は味噌ラーメンをよく食べていたし、近所にも味噌ラーメンのお店が多かった。
ちなみに味噌ラーメンの発祥は、札幌と山形だそうだ。前者はラーメンのスープを味噌味にしてみようと開発されたもので、後者は余ったスープで造った味噌汁に麺を入れて生まれたもの。どちらも凄い閃きなのだが、過程が違うようだ。
私が食べていたのは北海道版。熱々の味噌スープに絡む太めの縮れ麺に、ラードで炒めたシャキシャキの野菜が乗っている。味噌、味噌バター、味噌バターコーン。黄色いコーンの横でとろりと溶けていくバターの破壊力は食材の暴力である。
想像してもらいたい。厳しい冬の寒さ、雪の降り積もる一軒の小さなラーメン屋さんに入る。「味噌ラーメン一丁」、大将の声が狭い店内に響く。暖房の効いたお店のカウンターで、水を飲みながらラーメンを待つと“ジャッジャッジャ”、大きな中華鍋で野菜を炒める音が聞こえてくる。
「お待ちどうさま」
目の前に湯気の上がったどんぶりが置かれると、ゆっくりレンゲを沈めてスープを一口。冷えた体に温かいスープが染み渡り、赤血球が細胞の一つ一つに味噌を運んでいく。
フーフーハーハー言いながら一口食べ進めるごとに何かに包まれているような慈悲深さを感じ、まるで味噌の千手観音やぁ。なぜか彦摩呂さんのようになってしまったが、寒い北海道で味噌ラーメンが人気な理由が少しでも伝わればと思う。