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『人魚が逃げた』(青山美智子 著)

笑福亭茶光の「“本”日は晴天なり ~めくるめく日々」 第2回

『人魚が逃げた』(青山美智子 著)

銀座に現れた王子様が人生を見直すきっかけに(画:サラマンダーゆみみ)

笑福亭 茶光

執筆者

笑福亭 茶光

執筆者プロフィール

何度も読みたくなる本

 雨上がりの空のような晴れやかな気持ちになれる小説だ。

 私が少女ならこの小説を読み終わった瞬間、この本を両手で胸元に押し付けるように強く抱きしめ、瞳を潤ませながらニッコリと微笑んでいたに違いない。

 しかし、私は45歳のおじさんなので、瞳を潤ませながらニッコリとは微笑まない。心の姿見が「瞳を潤ませながらニッコリと微笑む私」を一足先に映し出してくれるので、そんな惨事は起きない。

 私はしばらく物語の余韻に浸ると、いても立ってもいられず1日50ページ読書の禁を破り、もう一度初めから読み返した。

 二度目の読了後の余韻にも浸り一息つくと、お昼をすぎ自分が空腹であることに気づいた。

 おっさんが空腹を忘れるというのは余程のことである。

 中高生の少年少女が片思いの相手から届くLINEを心待ちにするように、おっさんは腹が減るのを心待ちにしている。朝ご飯を食べながら昼は何を食べようかと考えている。昼もまた同じである。

 ましてや私は昨夜、業務スーパーに豚バラブロックを買いに行き、豚バラチャーシューを仕込み、今日のお昼にマルタイラーメンに乗せて食べるのを楽しみにしていた。つまり、朝どころか昨日の夕方くらいから今日の昼ご飯を心待ちにしていたのだ。そんな私が空腹に気づかなかった。

 素晴らしい作品が与えてくれる胸の高鳴りは、腹の虫の鳴き声も掻き消してしまうらしい。