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2025年8月の最前線 【前編】 (若手講釈師群像・一龍斎貞奈)

「講談最前線」 第5回

物語を息づかせる『助さんの憂鬱』読みの秘密

 そして、毎月、日本橋のアートスペース兜座で開いている勉強会で連続で読んでいる『助さんの憂鬱』にも、更なる可能性を感じた。原作は徳弘正也による『黄門さま~助さんの憂鬱~』で、作者の許可を得て講談化したものだ。

 日頃、講談の魅力の一つに連続物があると記しているが、貞奈もまた「連続物を手掛けている先生方がどういう風に読んでいるのか」と思い、上方で365日連続で講談を読んでいる旭堂小南陵等の助言を得て、手掛け始めた演目であるという。

 貞奈自身、キッチリと台本を作りたいタイプのようであるが(意外と?真面目なのである)、本人も話していたように、台本は台本として、ただし、話はまた聴き手とともに息をするものでもあるから、その場の雰囲気も大切に読んでいき、その時に応じて入れ事をしてみたり、切れ場を作ったりと、今はそれを学んでいる最中らしい。

 貞奈はこの話に取り組む前に、原作を何度も読み返して、ストーリーを刷り込んだという。実はこれは演じ手として必要な姿勢で、例えば『怪談牡丹燈籠』を演じる時には、『お札はがし』ばかりを読むのではなく、全段を読むことで話の世界に流れる空気感を得られるはずなのだ。

 そして連続物に取り組む際には、何も先人から受け継いだ形式や内容を、そのまま受け継ぐばかりではなく、話の展開を自分なりに工夫してみたり、登場人物の性格付けを新たにしてみたり、自分なりの切れ場をこしらえたりすることで、自分の読みが見つけられるはずである。

 この話で言えば、上方で演じられることの多い『水戸黄門漫遊記』の外伝といった風で、講談やテレビなどで知られる徳川光圀(とくがわみつくに)公とは異なり、黄門様は自由奔放で思うがままに行動するワガママな爺さんだ(笑)。そして、話の主人公である佐々木助三郎こと助さんも、実は四代目にあたる(それまでの助さんは、黄門様に振り回されていなくなった……)など、光圀公は世間の評価とは異なる暴君的存在として描かれる。だから『助さんの憂鬱』な訳である。

 この日(2025年8月5日)に聴いたのは第7話目で、重い年貢を課せられて困っている農民たちを前にしても、黄門様はまるでお構いなしで、やっと動き始めようとしたら、今度は命を狙われるといったドタバタ劇であった。

 緊張感あふれる場面では一気呵成(いっきかせい)に読み上げ、貞奈自身の言葉を挟む時には適度に間を用いた点。そして助さんの発する言葉や思いが、聴き手がこの話を前に感じる思いの代弁になるように読むことで、切れ場を迎えた時に「次の展開が知りたい」「早く続きが聴きたい」と思えてならなかった。