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入門

古今亭志ん雀の「すずめのさえずり」 第2回

あ、無理かもしれない

 そんなわりと何でもありのエコーは、会長が志ん朝師匠と同級生だった(ってことは会長って今おいくつなんだろう。お元気だなあ)ご縁もあり、「エコー寄席」なる志ん朝一門会をやっており(ありがたいことに、志ん橋一門会として現在も続いている)、また落語のレッスンを、後に我が師匠となる先代志ん橋が担当していた。

 これまでのインタビューやマクラで話す自己紹介などでは、レッスンで志ん橋に軽いヨイショで褒められたのを真に受けて、とか、もう少し詳しく話しているものだと、エコー寄席で聴いた志ん駒師匠の噺の中に、CDでしか知らない志ん生師匠を感じ「芸の継承」を目の当たりにしたことに衝撃を受けて、とかなんとかカッコイイことを言ってきたが、それらは真っ赤なウソである。

 ここに初めて真相を記す。

 あるとき、レッスンの様子をビデオに撮って見直そう、ということになった。

 「演技」のレッスンでは、体のラインがよくわかるタイツのようなものを着ることになっていたのだが、それを身にまとった己の姿を画面越しに見たとき、衝撃が走った。

 志ん駒師匠の噺に志ん生師匠を感じたときの衝撃は「感動」であったが、これはまさに「衝撃」としか言いようのない衝撃であった。

 この奇妙な生き物は、なんだ。

 背が低いのは知っていた。身長は父親の世代ならかろうじて全国平均に届くかどうか。だが今は測定しなくなったらしい謎の数値「座高」だけは、なぜか立派に同世代の平均に達していた。

 身長165センチで股下は……言わない。

 頭ではわかっていた。

 が、実際にその己の姿を客観的に見たとき、私の脳裏に浮かんだのは、一時期有名になった写真「両手をつかまれてお手上げ状態で捕らわれた宇宙人」であった。

 あ、無理かもしれない。と思った。

 もちろん自分がハムレットをやる柄でないことくらいは始めからわかっていた。

 エコーはコメディの劇団なので、三枚目にこそ活躍のチャンスがある所ではあるし、高身長の美男美女だけでは芝居は成り立たないことも承知しているが、それでも「舞台映え」ということを考えると、やはり体は大きいほうが有利だ。

 低身長や短足がハンデにならない世界はないか?

 そうだ、落語家なら着物だから足は見えないぞ。それに座ってしまえば身長は関係ない。モノを言うのはただ座高のみだ(実際「高座だと大きく見えますね」と言われたことがある。……無論!芸のオーラがそう見せた、という可能性も、まったく完全にゼロということはないと信ずる)。

 自分の進むべき道は、これではないか?

 不純である。ものすごく不純である。

 だが、私はコレでエコーを辞めました。勢いとはそんなものである。