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入門

古今亭志ん雀の「すずめのさえずり」 第2回

今日も電車は走っている

 ところで、師匠宅の目の前は小学校だった。

 その日の私は、決意のほどを示すために着慣れぬスーツを着、髪の毛をすべて剃り上げていた。これはなにも師匠の頭に合わせたわけではない。

 そしてきっと、そうとう思いつめた、なかば正気を失った目をしていたに違いない。

 そのなりで、弟子入り願いの会話のシミュレーション、稽古をブツブツしていた。小学校の校門の前で。朝の七時から九時まで。

 登校の見守りをしている保護者の方々がしきりに「おはようございます」「こんにちは」と声をかけてくる。

 いやあ、師匠は礼儀正しい人たちのいるエリアに住んでいるんだなあ。じろじろ見られているような気もするが気のせいだろう。

 そうこうしているうちに、戸が開いておかみさんがゴミ袋を持って出てきた。

 もう行くしかない。

 「あの、すみません。志ん橋師匠のお宅の方でしょうか」

 お宅の方でしょうかも何も、朝九時にゴミ出しに出てくるのはたいていお宅の方である。

 そこから家に上げていただき、結局門を叩くことも、インターホンを押すこともなく弟子入りを願ったのであった。

 「来ちゃったものを無下には断れないからなあ。もう一度よく考えて親御さんの了解も得て、気持ちが変わらなければあさってまた来なさい」

 聞くところによると、何度も断って本気かどうかを試す、という師匠も多いようだが、そのようなことはなかった。

 そして、ひとまずの安堵とこれからの不安を胸に二日後再び訪れると、しっかりと町内に「不審者注意」の張り紙が貼られていたのであった。

 落語のことをほとんど何も知らずに勢いで入門してしまった私であるが、幸運だったのは、志ん橋という人は表と裏の顔がまったく同じ、高座で見るそのままの人だったことである。

 落語に出てくる正直でお人よしの「甚兵衛さん」が、現実の世界に出てきたような人であった。

 大勢の先輩方が師匠の所に稽古に来られていた。

 おそらく落語を知らない人が「落語」「落語家」と聞いてイメージする「まるで落語みたいな落語をする、まるで落語家みたいな落語家」とでも言えば良いのか、まさに落語の教科書であった。

 師匠に教わった通りに喋っていれば、とりあえず落語をやっている気分にはなるのでそこに安住してしまい「師匠と同じにはなれないのだから自分のやり方を探さなければならない」ことに気づくまで、ずいぶん時間がかかってしまった。

 それをやるための二ツ目時代だったのだと、真打になってから気づいた私は、今になって殻を破ろうとギャグを足してみたり構成を変えてみたり。

 師匠が今の私を見たら

 「おまえ、基本がなくなっちゃってるぞ」

 と言うだろうなあ。

テアトル・エコーさんからいただいた後ろ幕の前で
 師匠とツーショット。2021年、上野鈴本演芸場にて

 師匠の弟子として落語家にしていただけたおかげで、演劇界の甲子園的存在である紀伊國屋ホールに、エコー同期の誰よりも早く立つ……もとい紀伊國屋寄席の前座として座ることもできた。

 卒業公演、そしていつか劇団員となり本公演で立つことを夢見たエコー劇場には、中間発表会で一度立てたきりだったが、こちらもエコー寄席のおかげで時々座らせていただいている。

 師匠ももうすぐ三回忌。

 あの日とうとう押せなかったインターホンも、今では何も考えずに押せるようになった。

 その横を、今日も電車は三分おきに走っている。

(毎月26日頃、掲載予定)