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“お前の人生、なんぼのもんじゃい”から始まる講演録

柳家小志んの「噺家渡世の余生な噺」 第5回

三、“死”の噺が許される時代へ

 ある終活団体の会長から、直々に講演依頼があった。「終活セミナー」である。

 朝から夕方まで6コマに分かれた一日講義で、私の担当は、昼休み明けの時間帯だった。寄席にたとえるなら、食いつきの色物(いろもの)。つまり、昼食休憩をいい機会に、退席する参加者を繋ぎ止める“つなぎ役”というわけだ。

 それを理解しての依頼ならばと、妙に納得はしていた。リクエストされた演目は『片棒』。父親が三人の息子に「お前たちは、わしの葬式をどう出してくれるんだ」と生前に確かめようとする噺である。まさに終活というテーマには、これ以上ないほど“ハマる”演目だ。

 会場では、受けがよかった。朝から続いた専門的な話のあとの“ゆるみ”として、笑いが場を和らげたのだろう。だがその直後、控室のパネルの向こうでスタッフの人たちが漏らした言葉が耳に入ってしまった。

 「会長、あの落語、何ですか? ただ喋っただけですよ」
 「次、断りましょうよ」
 「いや、あと二回頼んであるんだ」
 「金払ってでも、キャンセルしたいですよ」

 私は、依頼主である会長の注文に応じたまでだった。講演テーマが専門的であっても、こちらには語れるだけの知見はある。軽く流したように見えたなら、それもまた求められた役回りだったのだ。

 私は、そのパネルの裏で、忍びの者のように息を潜めたまま、やり過ごした。

 「壁に耳あり、障子に目あり」

 世の中には、聞かなくてもいい真実もある。結局、その後の二回も行った。スタッフは笑顔で迎えてくれたが、目は笑っていなかった。――さすが商売人。私にはできない芸当だった。

 終活ブームの余波で、「成年後見制度」についての依頼も増えた。判断能力が衰えた人の財産や契約を支える仕組み――すでに2000年(平成12年)から制度はあったが、日本では“死”や“障がい”について語ること自体が忌避されてきた。

 だが終活という言葉が社会に出回ることで、少しずつタブーが緩和されたのだろう。

四、定年なき落語家のほろ苦さ

 2015年(平成27年)頃、「一億総活躍社会」というスローガンが掲げられた。「還暦後も働く」ことが「意欲ある限り、当然」という空気に変わった。

 「噺家はいいね。定年がなくて」

 そんな言葉をよくもらった。私の決まり文句は、「定年もないけど、仕事もあるかもわからないよ」だった。だが、今や「シニアの就職活動」が現実になっている。その講演も見受けられる。時代が進めば、噺家がサラリーマンを羨む日が来るかもしれない――

 「いいな、ちゃんと勤め先があって」と。