栗と私

「マクラになるかも知れない話」 第二回

おや、大きなお月様だねえ

 ふう……。
 さて……。

 親愛なる読者諸兄におかれましてはまず、落ち着いてもらいたい。深呼吸をして、そして怒らないでもらいたい。

 そこのお兄さん。そんなに強くスマートフォンを握りしめると画面が割れてしまいますよ。まず前提としてご理解いただきたいのは、僕に悪気はないということです。三遊亭萬都は、ただ懸命に生きている小さなひとつの命です。

 「びっくり」で、筆を置くことも出来た。しかしそれをしなかったのである。なんという責任感であろうか。褒めてほしいくらいだ。

三遊亭萬都、懸命に生きております(令和7年の謝楽祭にて)

 実は、編集部のIさんからテーマ案を複数もらったとき、大変なことが起こったのです。

 「どの項目にも特に思い入れがない」

 これはIさんのせいではありません。Iさんは、季節に合った多様なテーマ案をたくさん送ってくれています。

 僕が今までの人生で、30回以上巡りきた9月というものをぞんざいに過ごしてきた結果です。9月って思い出ありますか? 8月ハシャギすぎたわ~とか思ってたら終わりません? SeptemberにLoveなんぞします?

 それでまあ、こんな壮大な栗についての話をしましたが(実家に栗の木があったのは本当)、この栗というものは縄文時代から食べられているくせに、あまり落語に出てきません。栗饅頭が出てくるのと、あとは『いが栗』という怪談じみた噺がある。

 あとは……『牡丹灯籠・栗橋宿』? また怪談。というか、そもそも秋の落語が全体的に少ないんでしょう。

 ぱっと出るのは『目黒の秋刀魚』でしょうか。僕の師匠の師匠、三遊亭圓窓は秋の落語が少ないというので『釜泥』という噺の中に、お月様を見上げるシーンを追加していました。

 「十五夜」とか「中秋の名月」とかそういった言葉は使わず、ただ中天高く昇った月を見上げて

 「おや、大きなお月様だねえ」

 とだけ言うのですが、なんか綺麗なので僕もちょっと真似して噺の中でお月様を見上げてみたりもしています。

 「この噺のあのところは、ちょっと秋を感じさせるかも知れないな」

 なんて考えながら落語を聴いてみるのも、この季節は楽しいかも知れません。そうしていただきますと、皆様のツキも上がること間違いなし。

 栗の話なくなっちゃったので、急に噺家っぽい感じを出してお終いにしようとしましたが、どうですか。

 だめですか。
 そうですか。

 こんなとっちらかった話で連載は続いていくのでしょうか。大丈夫でしょうか。先が思いやられますね。それを考えますと、栗だけに……

 イガ痛い。

三遊亭萬都公式サイト

https://3utmanto-official.amebaownd.com/

(毎月25日頃、掲載予定)