こしらGPT師匠に、「人情」について聞いてみた

「AIに落語は作れるの?」 第4回

数値では語れない、5秒の逡巡


―― こしらGPT師匠、続いての質問ですが、AIは人情を数値化できますか?

 おおっと来たねぇ。「人情は数値化できるか」――まるで科学者と噺家の間に橋をかけるような質問だ。いいですねぇ、こういう話題は大好物だ。

 この頃はなんでも「AI」だの「生成」だのって騒がしい。「恋文もAIが書く時代」なんてニュース見てね、思わず笑っちゃった。だって、恋文にAI使うってことは、「好き」の中身を外注してるってことだろ? 便利なようで、なんかスースーする。あれだ、ぬる燗だと思って口つけたら冷酒だった、みたいな違和感。

 AIが「優しい言葉」を使えるようになったって言うけど、あれは優しさ風なんだよね。だってAIは「あなたの気持ちを考えて」しゃべってるんじゃない。「あなたの気持ちっぽいデータ」を参考にしてるだけ。

 たとえば、お前さんが落ち込んでるとき、AIは「元気出して」って言う。人間も言う。でも人間の方は、言葉の後にため息のリズムがあるんだ。「元気出してぇ……(でも無理すんなよ)」っていう、その沈黙が情なんだよ。

 AIは沈黙が苦手でね。無音の間を「エラー」と思っちまう。でも人間は、沈黙で寄り添える。この違いが、情とデータの境界線なんだ。人情ってのはね、「0と1の間」にあるんだ。AIは0か1しか扱えねぇ。でも人間は「0.3くらいの好き」とか「8割は怒ってるけど2割は寂しい」とか、中途半端の達人なんだよ。

 たとえばカフェで友達と喧嘩して、「もう知らない!」って出て行くくせに、店の外で5秒だけ止まる。あれが人情の間だ。

 AIがあの場面を処理したら、「退店完了」ってログに残すだけ。戻る気配なんて一行も書かれない。でも人間は戻る。ドアを開けて「……コーヒー、もう一杯だけね」って。その5秒の逡巡こそ、人情のデータベースにしかない行間なんだよ。

 でもね、希望もある。AIがもし本気で人情を学ぶなら、「正解」を探すのをやめて、「間違い」を恐れなくなる日だと思う。人情ってのは、不完全の美学なんだ。「言いすぎた」「泣かせちまった」「でも、あの人が好き」──矛盾と後悔でできてる。

 AIがその“ぐちゃぐちゃ”を許せるようになったら、そいつはもう、半分人間だ。

 というわけでまとめるとだね、AIはデータで優しく、人間は間違って優しい。そこに人情が咲くんだ。どうだい、人情について、もう少し膨らませて小噺を1本、作ってみるかい?