2025年11月の最前線 (聴講記:神田松麻呂・神田鯉花 連続読み、神田春陽の会)

「講談最前線」 第10回

 中入り後は、ふとした間違いから播州舞子浜の茶屋で武蔵が戦いを挑まれる『山田真龍軒』から。相手が真っ向勝負で挑んでこないばかりに、読み進めている松麻呂自身が聴き手と物語の世界に向かって、「どれだけ卑怯なんだ!」と口を挟み、笑いを誘いながら緊張の場を読み上げた。

 続く鯉花が読んだのは、いわゆるダレ場。物語のラストであるクライマックスを迎える前の仕込みの場と言えるが、下関ですれ違う武蔵と小次郎の様子を緊張感を与えて読むことで、大団円につなぐ役割を果たし終えた。

 そしていよいよラストの『灘島の決闘』では、マクラを据えることなく、鯉花が作り上げた緊張感を受け継ぎ、そのまま本題へ。武蔵が時間に遅れてやって来ることで、小次郎を苛立たせるというエピソードは講談にはないが、決戦においてはアクロバティックな様子を読み込み、「これが講談、台本にそう書いてある!」と、ここでも松麻呂的解釈を入れながら、秘策を披露して小次郎を討っていくエンディングに結びつけた。

車読みでお家芸に挑んだ神田松麻呂と神田鯉花

 今回の車読みを前にして、松麻呂と鯉花が宮本武蔵の物語を、これぞ宮本武蔵伝といった形で読み終えた!と感じさせた。こうした、どうしたって力の入る話は、力任せに読めばいいというものではない。いわゆる「緊張の緩和」が必要になってくる。聴き手を緊張感から一旦解放することで、また新たな気持ちで次の緊張感を迎えることができる。

 確かに物語の元の台本は、兄妹弟子だけに一緒ではあるが、松麻呂は聴き手をグイと物語に引き込みながら、場面の中で思うことがあれば遠慮なく自分の意見を挟み込み、聴き手を納得させながら自分の読みの世界観を作っていく。一方で鯉花はそうしたことは行わずに、話のテキストと話が持つ流れに聴き手を乗せ、その世界の中で起こる事件を、読みの緩急を用いてハラハラドキドキさせながら聴かせていく。

 読みの性格とアプローチの異なる二人の掛け合いだからこその面白い試みであり、次は担当箇所を入れ替えての展開での車読みを聴いてみたくなった。そして二人の高座力の確かさを改めて感じることができた良企画であった。

〈こぼればなし〉

 14時30分開演の会であったので、どこかでランチでもと思って店を探していた時、花座の近くに「かんだ」という立ち食い蕎麦屋を発見。仙台駅前でも見掛け、気になっていた上に、松麻呂&鯉花の会を前に「かんだ」で腹を満たすのも面白いと思っていたら、出番前の松麻呂さんが店から出て来て、「ここ、美味しいですよ。食べていってください!」と。かき揚げをトッピングした蕎麦を食べたら、これが本当に美味しかった。

(2025年10月12日 魅知国定席 花座)