ドーピングと芸名 ~志ん雀の由来~

「すずめのさえずり」 第五回

それは始まった

 落語家も、前座二ツ目のうちはその若々しさが愛されるのかもしれないが、真打になり「師匠」などと呼ばれる身で、あまり重みがないのも考え物なのである。

 中には前座の頃から「キミ明治生まれ?」と言いたくなるような、妙な貫禄のある人もいるが。
 人間そのものを語るのが落語であるから、それを語る落語家は、やはりお客様を納得させる、それなりの人間であらねばなるまい。

 ある師匠が

 「白髪が生えてきた時、お客さんに染めたほうがいいですよと言われたけど違うんだ。オレは早くジジイになりたいから嬉しかったんだよ」

 とおっしゃっていた。その気持ちはよくわかる。

 落語家が童顔であることのメリットはあまり思い浮かばぬし、ほとんど落語を知らずにこの世界に入った私にとって、スキンヘッドの師匠志ん橋が落語家のロールモデルであった。
 おまけに生え際に「つむじ」があるせいで綺麗に左右に分けることもできず、こんな髪の毛など早くなくなってくれ、と思っていた。

 髪の毛があるうちは。

こんな所につむじが!

 亡き父も50歳にさしかかる頃にはだいぶ「来て」いたので、私もそのくらいの年になればそうなるだろうな、とは思っていた。そうなれば少しは風格のある師匠に見えるかなと。
 ところがあろうことか、まだ二ツ目だった30代から、それは始まったのである。
 ちょっとそれは、私の人生プランとは異なるそれであった。

 すぐさま医者に直行し、必死の抵抗が始まった。

 植毛やカツラは別として、実際に「生やす」治療となると、具体的な方法は主に①「脱毛を抑える飲み薬」②「発毛を促す飲み薬」③「発毛を促す塗り薬(発毛剤)」である。
 なお、医学的に発毛効果が認められている「ミノキシジル」が含まれているのが「発毛剤」、含まれないのが「育毛剤」だ。飲み薬の服用には事前の血液検査が必要で、ドラッグストアで気軽に、とはいかない。

 私が行ったのは①と③であった。

柳亭小燕枝師匠に、ミノキシジルを熱く語る

 その後の涙ぐましい環境保護政策のおかげで、なんとか多少持ち直し、今日に至るまで保全はなされているのであるが、さてそうなると、今度は「いつそれを止めるのか?」という問いを突き付けられることになった。
 ドーピングを止めれば筋肉が萎んでいくのと同じように、頭髪もみるみる失われていくのだろう。まるで玉手箱を開けた浦島のように。
 私はそれを見て泣くであろうか。それとも念願のジジイになれたことに快哉を叫ぶのであろうか。

 今は落日前の一瞬の輝きとばかりに髪を伸ばし、後ろで丸く束ねた「マンバン」とか呼ぶらしい髪型にしている。
 とても落語家とは思えぬスタイルであるが、そこに人生の儚さを見ていただければ幸いである。