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優しさと知性で物語を紡ぐ 田辺一邑(前編)

「釈台を離れて語る講釈師 ~女性講釈師編」 第18回

システムエンジニアから講談の世界へ

一邑 はい。日本航空の関連会社で開発していたアプリケーションのSEです。IBMの機械を使用して、給与計算システムの開発に携わっていました。その頃、忙しく働いていました。

一邑 お給料はいいし、残業代もきちんと出ますし、遅くなればタクシー券もバンバン出してくれますし、お金という面では良かった。

一邑 それに疲れてしまって、仕事を辞めて、その頃の失業手当って、今よりも長期間もらえたんです。それに金額は退職前の給与が基本ですから、沢山もらえたんです。一人暮らしでしたし、バイトなんかしないで、何もしないほうが良いくらいで、ならば好きなことをしよう!って。

一邑 大学時代、演劇部に入っていたんです。それもあって、声を出すことは好きでした。

一邑 行政の文化施設が主催するワークショップでした。でも、かなり本格的で、お芝居・歌・舞踊の三部構成、発表会もあって、カツラをつけて、顔を塗って、衣装もつけて、行政主催としては飛び抜けて高額でしたが、とても楽しく、今でもその時の仲間と親しくしています。

 そんな時に、購読していた新聞に載っていた講談会のご招待記事、往復はがきで応募すると招待券が当たって聴きに行ったのがきっかけです。

一邑 お江戸日本橋亭で、(宝井)琴梅先生が出演されていて、前座が当時の(田辺)つる路、(小金井)若州でした。1995年頃です。

一邑 出ていません。今となっては恥ずかしいですが、その日の高座を見ていて、これぐらいなら私にもできるかなって思って、本当におこがましいですが。それに芝居をやっていくにも、体力的にも容姿にも自信がなかったですし、講談ならそんなに動かないですし、私でもできるかなって。

 それに昔から着物が好きで、会社員時代は忙しくてお金を使うところがないから、ボーナスをもらうと高い着物を買っていたりしたんです。