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〈書評〉 現代落語論 (立川談志 著)

「芸人本書く派列伝 クラシック」 第9回

軽演芸化する笑いへの警告

 その一方で、追い求められる現代性以外の価値が落語にはあるということをきちんと書いている。

「(前略)人間の真の素朴さとか、現代には“こんなものくだらない”というかも知れぬが「正義感」や、それに「四季の香り」などという豊かさがついており、これを想像するところに本当の落語の楽しさ、豊かさがあるんだと、わたしは思う」

と書く。談志はこの感覚をずっと持ち続け、晩年にはそれを「江戸の風」という用語で表現した。

「その二 修業時代」「その三 噺家と寄席、今と昔」で自分の記憶を媒介にして過去を振り返り、1965年現在の観客はどのような存在で、何を笑おうとしているのかを次第に理解してきたことを語る。何が現代に通用しないか、も同時に知ってきたわけだ。このくだりがあるからこそ、最終章の結論に説得力が備わるのであって、ここは単なる昔を懐かしむだけの回顧ではない。

 読み返した発見としては、夭折した湯浅喜久治プロデューサーから談志が受けた影響はやはり大きかったのだろうということがあった。また、かなり早期から浪曲好きであることを表明しており、「その三」では横浜黄金町で、南條文若時代の三波春夫と同じ寄席に出ていたことを書いている。

 ここまでが仕込みである。次の「その四 観客と芸人」は現在の観客は何を求めているかという分析で

「しかし、ハッキリいって、今の盛況は落語ブームではないし、むしろ軽演芸ブームだと思う」

という一文がすべてを表している。「噺を聞く」のではなく「演芸を観て笑」っているのだという分析だ。落語やその他の芸に入り込むのではなく、それを受動的に消費するようになったということを指摘している。ここに『現代落語論』の全体から滲み出る諦念の出処がある。

 いかに落語家が自身の芸を研ぎ澄まそうとも、それを求めている観客はいない、という残酷な現実があるというわけだ。