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鹿芝居狂想曲 ~しろうとしばいはおおにぎわい~

「すずめのさえずり」 第八回

鹿芝居狂想曲 ~しろうとしばいはおおにぎわい~

画:原田みどり

古今亭 志ん雀

執筆者

古今亭 志ん雀

執筆者プロフィール

 先日、鹿芝居があった。

 鹿芝居とは、落語家が芝居の真似事をする昔ながらの余興で、はな「しか」の芝居なので鹿芝居という。林家はな平さんが中心になって活動している「令和鹿芝居」というグループの公演だが、あの人は当ウェブでは落語のオチ解説に特化して書いているみたいなので、私が取り上げてもいいだろう。

 以前は金原亭馬生師匠や林家正雀師匠を中心に国立演芸場で毎年やっていたし、もっと前にはうちの師匠などもやっていた。馬生師匠の鹿芝居は毎年前座でお手伝いさせていただいていて、普段の寄席とは違う楽屋の雰囲気に、元俳優養成所生としてなんとも浮き立つような気持ちになったものだ。

 令和鹿芝居には三度目の参加で、一度目は「怪談牡丹燈籠(ぼたんどうろう) ~お札はがし~」のお峰、二度目は「百年目 浮気番頭」の芸者、そして今回は「髪結新三(かみゆいしんざ)」の新三。

 おお、ついに主役、そして初めての立役である。

 落語を芝居にするほうが我々は話を知っているし、高座と同じ感覚でクスグリも入れやすいのだが、やはりどうせやるなら歌舞伎の演目がやりたい。髪結新三も元は落語だが、今は河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)の芝居「梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)」のほうが有名だし、これは歌舞伎と呼んで差し支えないだろう。

 はな平さんの台本が上がってきたときは、これまでのようなおふざけもなく、歌舞伎をダイジェスト版にした感じで、これでウケるかなと心配だったが、さて…。

 そもそも落語家が芝居をするときの決定的な弱点として、「会話」ができないということがある。

 上手い役者さんになると、自分の台詞がないところをどう作っていくかが楽しいらしい。喋っている役者の邪魔をせず、かつちゃんとその世界の住人としてそこにいること。

 落語家はこれができない。私も養成所時代、自分の台詞がないときに何をしていればいいかわからず、その困っている自分に気づいたときに「あ、オレ役者無理かも」と思ったものだ。落語は、基本的に喋っている側の人物だけを演じるので「他の人の台詞を聞いてそれに反応する」という演技がない。

 たまに落語家の芝居を見ると、だいたい自分の台詞がないときは明らかに「休憩」している。自分の番が来ると急にスイッチが入って「いやそれは!」とか始まる。そこへ行くと、よく舞台やドラマに出ている昇太師匠や正蔵師匠、鶴瓶師匠、喬太郎師匠といった方々は、さすがにそういう不自然さがなく、その人物として生きて、自然に存在しているのでなかなか良い(おいおい)。