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〈書評〉 〈声〉の国民国家 浪花節が創る日本近代 (兵藤裕己 著)

「芸人本書く派列伝 クラシック」 第10回

アウトローの声が国家を揺らす

 もちろんすべてではなく、本題の桃中軒雲右衛門に関して言えば、彼の九州時代に大きな影響を与えたと思われる、美当一調(びとういっちょう)についての言及はあっさりしすぎているように思う。

 美当は士族の出身だが、芸人を志して後援者に恵まれ、主に日清・日露の戦争を講談的に語る軍談家として、九州地方で莫大な人気を誇った。一調の全盛期を九州時代の雲右衛門は見ているはずなのだが、その影響関係については触れられていない。

 もちろんそれは「ないものねだり」と言うべきなのであって、九州で人気回復のきっかけを掴んだ雲右衛門が、いかに東京・大阪という中央で愛されるようになったか、という部分が本書の中核なのである。

 雲右衛門が「武士道鼓吹(ぶしどうこすい)」を唱えたことは有名である。そうした形で武家社会につながる倫理観の復活を唱えたことが保守勢力に気に入られ、後援を受けたために大衆からも支持を得られた、というのが一般的な説明だ。

 しかし兵藤は、それに異を唱える。

 というのも、浪曲が描いているのは武士の倫理ではないからである。雲右衛門が十八番の売り物とし、ほかの浪花節語りもそれに追随するようになる「赤穂義士伝」は、武士社会の秩序と倫理観からは外れている。江戸幕府が定めた仇討ちの規程から赤穂浪士の行為は、あらかじめ許諾を受けていない点など、大きく外れていた。だからこそ、全員が切腹を命じられたわけである。

 義士伝を含む浪曲の美談は、武士という国家の正員ではなく、“非常民、広義のアウトローのものに酷似している”と兵藤は指摘する。なぜならば、雲右衛門をはじめとする浪花節語りたちは、都市下層民の出身だからだ。生前の雲右衛門は自身の出生について偽りを話すことがあったが、それは芝新網町(しばしんあみちょう)という零細民の住まう地域から出た人であったことと無関係ではないはずだ。

 それこそ新網町は「ちょんがり」などの大道芸人を含む、非常民の街だったのである。そうした土地で培われた心性を元にして自身の物語を組み立てたからこそ、雲右衛門によって再び命を吹き込まれた浪花節は大衆から熱狂的に支持されたのだと兵藤は解く。

 雲右衛門が爆発的な人気を得たのは1907(明治40)年、1905年に日露戦争が終結しているが、戦勝国となったものの講和条約では大きく譲歩せざるを得ず、多くの戦死者を出したにもかかわらず、ほぼ実利を得ることができなかった。そうしたことに対する不満、体制への不信が積み重なっていたからこそ、上からの教導ではなく、下層民の心を代弁する雲右衛門の浪花節が支持されたのだ。

 それが雲右衛門の〈声〉という、理屈ではなく感情を揺さぶるものによって成し遂げられた、という点が重要である。