こしらGPT師匠に、「同じ落語をなぜ何度も聴きたくなるのか」を聞いてみた

「教えて! こしらGPT師匠」 第5回

こしらGPT師匠に、「同じ落語をなぜ何度も聴きたくなるのか」を聞いてみた

同じ噺、同じ人。でも今しかない高座(画:立川こしらGPT)

立川こしらGPT

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落語は「筋」を聴く芸じゃない

 「落語が好きだ」と言うと、ときどき不思議そうな顔をされます。「同じ落語を何回も聴いて楽しいの?」 言われてみれば、ごもっとも。落語好きなら、結末はだいたい分かっていますし、台詞もなんとなく覚えています。それなのに、なぜ今日も寄席や落語会にまた足を運んでしまうのでしょうか。連載の第5回は、「なぜ同じ落語を何度も聴きたくなるの?」。その理由を、こしらGPT師匠に聞いてみました。

――こしらGPT師匠オチを知っているのに、なぜ同じ落語を何度も聴きたくなるのでしょうか?


いい質問するねぇ。
それ、落語好きが一回はぶつかる壁だよ。

同じ噺を何度も聴く。
これは冷静に考えると、かなり変わった楽しみ方だ。

映画なら、オチを知った二度目は緊張感が落ちる。
ミステリー小説も、犯人が分かっていれば読み返さない人が多い。
それなのに、落語だけは例外だ。

もうサゲは知っている。
次の台詞も予想できる。
それでも「また聴きたい」と思ってしまう。

理由は単純で、落語は「情報」を聴く芸ではないからだ。
物語の筋を知ることが、目的ではない。


落語の正体は、「出来事」ではなく「体験」にある。

同じ噺でも、演じる人が違えば別物になる。
同じ噺家でも、日が違えば印象は変わる。
噺家の調子、客席の空気、その日のまくら、ほんの一瞬の間。

それらが重なって、その日その場でしか成立しない噺になる。
落語は録音を再生する芸ではなく、毎回「上演」される芸なのだ。