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浪曲進化論

東家一太郎の「浪曲案内 連続読み」 第2回

浪曲のルーツをたどる

 浪曲は三味線の音色に乗せて、節(歌のようなもの)と啖呵(セリフ)で物語を伝える、語り物の芸能です。

 「浪曲という種」の起源をたどると、どうなるのでしょう。平家物語を琵琶の伴奏で語る琵琶法師は、『耳なし芳一』の話でイメージしやすいですね。平曲は鎌倉時代ですが、奈良時代、平安時代から仏教の説話を語る琵琶法師はいたようです。

 もっと古い時代にも、楽器の伴奏での語り物の芸能はあったかも知れません。浪曲のご先祖様の芸能はどんどん枝分かれをしていって、いまでは知ることができない、記録にも残っていない、絶えたものも沢山あったでしょう。

 室町時代には能の謡曲や浄瑠璃が、江戸時代には義太夫節、常磐津節、清元節などができました。江戸浄瑠璃は沢山のジャンルがあったそうですが、いまでは技芸を体現する保持者(芸人)が絶えたり、衰退して、なかなか聞くことができない◯◯節、というものもあるそうです。

 浪曲・浪花節の近いご先祖様は、江戸後期に流行ったという阿呆陀羅経(あほだらきょう)、デロレン祭文、ちょんがれ、ちょぼくれと云う、なんだかよくわからない、ちょっと変わった楽しい名前の芸能です。いまではなかなか聞く機会はないですね。

 明治になって浪花節(なにわぶし)という芸能ができました。だんだんと流行し、何百人、何千人と浪花節を語る芸人が増え、当然曲師も増えました。浪花節は、昭和になって浪曲と名を変えます。

 師匠が弟子に教えて、弟子が師匠の芸をまたその弟子に伝えていくことで芸の系図が続いていきます。そうやって浪曲各派ができました。関東では東家派、浪花亭(木村派)、玉川派など、関西では吉田派、京山派、広沢派など、ほかにも桃中軒派、天中軒派、鼈甲斎(べっこうさい)派など、多くの流派があります。流派ごとに芸人の名前が書かれた浪曲家各派別系図という本もあるんですよ。

 それだけ流行って、浪曲師の数が多かったのです。しかし、昭和の時代にあれだけ一世を風靡して売れた「清水次郎長伝」の広沢虎造や「佐渡情話」の寿々木米若の系譜は現在もうありません。その流派は絶えてしまったわけです。続いている流派があるということの方が珍しいのかも知れません。

 いま現在残っている流派が優れているということではなく、その時代時代で色々な浪曲師がいて、ものすごく売れた人も、それなりにうまくいっていた人も、うまく行かずに辞めていった人もいた。

 でもその時代、その年、その日の舞台のその瞬間に、浪曲師も曲師も輝いて芸をして生きていた。そこにお客様がいて、寄席小屋や劇場があったことが愛おしく、素敵だなぁと感じます。進化論を通して浪曲を見ると、なんだか心がホッとして、この芸能に対して優しい気分でいられます。

 しかし!一人の芸人として考えると話は別。淘汰されないように競争に打ち勝って生存し続けていかなければいけません! なぜなら浪曲が好きだから。師匠の浪曲が好きだからです。関東節、東家の芸を絶やさずに継承していかないと、師匠や大師匠、ご先祖様に申し訳がない。

 また広く云えば、浪曲という芸能自体を絶やさない予防も必要です。絶滅危惧種のレッドリスト、とまでは云いませんが、準絶滅危惧かも!? 用心するに越したことはありません。それには技芸を高める、芸を磨いて、お客様に喜んで楽しんで満足していただくほかはありません。