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〈書評〉 最後の芸人の女房 (髙部雨市 著)
杉江松恋の「芸人本書く派列伝 オルタナティブ」 第2回
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講談界の巨星を支えた妻ゆき子の物語
芸人の妻とはどういう存在かが描かれた一冊である。
髙部雨市『最後の芸人の女房 人間国宝・一龍齋貞水を支えたおかみさん一代記』(河出書房新社)の主人公は旧姓女良、結婚して浅野ゆき子となった女性である。
夫である六代目一龍齋貞水が生まれ育った家を改築し、一階を「酒亭 太郎」として開業した。講談ファンだけではない広い客層に愛され、今なお営業を続けている。この「酒亭 太郎」の売り上げで、まだ仕事がない時代の夫・貞水を支え続けたのだ。貧乏が好きだ、と言って貞水は収入がないことを気にする素振りもない。ゆき子が働かなければ一家は飢えるのである。
改築は1977年(昭和52年)、以降五年間は一階を人に貸していたが、家賃滞納などの問題もあって持て余していた。そのうちに貞水はその一階を講釈場にしたいと言い出す。1980年(昭和55年)頃から「講談湯島道場」として自宅を若手に使わせており、本格的な講釈場の常設を目論んだのだろう。ゆき子は一計を案じる。
「貞水さんがね、ここを講釈場にしたいから建築屋さんを頼んでくれるっていうから、私は、あらそうなのってすっとぼけてね。
それでその頃、ちょうど貞水さんが京都に三泊四日の仕事があった時、建築屋さんに頼んでチャチャって一階にカウンターを作っちゃったの」
当然帰宅した貞水からは文句が入る。だが、家の改築費用を一銭も出していない夫のわがままを聞くわけにはいかず、大喧嘩をしてゆき子は意見を通した。
「そのうちね、貞水さんが店の名前考えたって言って、講釈に出てくるような名前をああだこうだ言うから、私が初めてやる店だから、日本の長男の名前、太郎でいいんだよって言って。それで太郎にしたの。
そしたら貞水さんが酒席ってどうかって言ってね。酒の席で酒席太郎。初めてアドバイスしてくれて、それで『酒席 太郎』になったの」
約二百ページのうち、この「酒席 太郎」に関する記述が四分の一を占める。やや多いように感じるが、あまり表に出てくることのない芸人の台所事情をつぶさに知ることができるのが本書の特徴なので、これでいいのである。
「酒席 太郎」開店前にもゆき子は、さまざまな仕事をして生活費を稼いだ。喰えない芸人を支えるおかみさんという図式だ。もちろん貞水が遊んで暮らしていたわけではなく、全力で講談に向き合っていたのだろう。それができたのもゆき子の存在があったからだ。