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あふれる情熱と笑顔 神田鯉花(前編)
「釈台を離れて語る講釈師 ~女性講釈師編」第4回
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神田鯉花近影(墨亭・提供)
一時期、絶滅危惧種とまで言われるも、現在、東西合わせて120名を超えるまでになった講釈師。江戸から明治、大正、昭和と、主に男性が読み継いできた芸であったが、平成、令和と時代を経て、女性目線による女性の講談が世に送り出されてきた。その時、講釈師は何を考え、何を読んできたのか。第一線で活躍する女性講釈師に尋ねてみた。(神田鯉花さんの前編/後編のうちの前編)
講談会通いと師匠との出会い
人間国宝・神田松鯉の弟子として、積極的に連続講談に挑み、今年(2025年)は映画の主演を見事に務めた神田鯉花。いつも元気で明るい高座が魅力だが、どんな毎日を過ごし、講談について考えているのか。そしてどんなことに今後臨んでいきたいのかを尋ねてみた。
―いつも明るく元気な鯉花さんですが、どんな子ども時代だったんですか。
鯉花 なんというか、喜怒哀楽の激しい子どもでした。落ち込む時はすごく落ち込んで、ヘラヘラしている時は、ずっとヘラヘラしているような。ダンスを習っていて、それが楽しかったのと、絵を描くのが好きなので、何かと絵を描いていました。それにマクラでもよく話しますが、日向ぼっこになりたいくらい、日向ぼっこをしていたのと、昼寝が好きでした。
―家族とはどうだったんですか?
鯉花 両親とも共働きだったので、ばあちゃんっ子で、困ったことがあるとすぐにばあちゃん。ご飯を食べに行ったり、何かあると「ばあちゃん!」って、私にとっての救いであって、大好きな味方でした。
―愛媛で過ごして大学で京都へ。講談師になろうと思ったきっかけとは。
鯉花 大学を出てから、カラオケ店やチラシ配りをしたりと、職を転々として、居酒屋でバイトをしていたんです。そこである時、お客さんから「講談、知らないの?」って言われたことに頭に来て、それで講談を聴きに行ったんです。
―バイト先でブチ切れた(笑)。
鯉花 (笑)。何度も講談会に通って講談を聴きました。伯山兄さんは売れてはいましたが、まだ席が案外とれる頃、深夜帯のバイトだったので、出勤前に行ったり、バイト終わりに仮眠してから上野広小路亭に行ったり、ほぼ寝ずに行ってました(笑)。でもお客さんはちゃんと寝てから行ってくださいね。身体壊しちゃいますから(笑)。色々な講談会に行く内に、師匠の『笹川の花会』を聴いて、入門を決意しました。
―すぐに入門は許されましたか。
鯉花 「取らないよ」と言われました。それでも「弟子にしてください」と食い下がっていたら、「あとは鯉栄が聞くから」と池袋演芸場の上の喫茶店で話を聞いてもらいました。自分の洗いざらいを話したら、鯉栄姉さんが太鼓判を押してくれて、後日、姉さんから電話があって、師匠に挨拶をして、入門が決まりました。2018年の9月の末のことでした。10月1日に名前をいただきました。