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ぼうけんだんきち

立川談吉の「ずいひつかつどお」 第3回

口から光線が出せたら、蕎麦屋の二階にはいない

 10年以上前か、髪を真っ赤に染め上げて高座に上がったこともあるが、とりわけ冒険だとも思っていない。落語家の中ではあまりいなかったかもしれないが、当時一般社会には髪を染め上げている人はいくらでもいた。このごろでは電車の車両で青やピンクに染めた人を見るのは当たり前の風景となっているし、落語家にもいろんな髪色の人が増えたように思う。そもそも髪型や髪色で遊ぶのは普通のことである。

 ちなみに兄弟子に丁髷(ちょんまげ)の人がいるが、こればかりは普通ではない。もしかしたら何十年後かには丁髷が流行って普通になるかもしれないが、確率は相当低いだろう。

 なぜ冒険しないのか? 単純に財力の問題もあるかもしれない。戦闘機が買えるくらいの端金(はしたがね)すら持っていないので、何かを選択する時に「もったいない精神」が顔を出してしまうのである。

 例えば、いつものお気に入りのホットドッグを食べようとお店に入ったとする。そこで店員さんに新発売のタコスをお勧めされたとして、若干の好奇心で食べてみたくはなるかもしれないが、値段がホットドッグより高い場合、決してタコスを選びはしない。もしタコスを食べてお気に入りのホットドッグの満足感を越えなかったら後悔するからだ。

 これが財力があれば別である。イージス艦を買えるくらいのお金を持っていれば、悩むことなくタコスとホットドッグ両方を頼めば良いだけなのだ。しかしそうなると最早、冒険でもなんでもなくなってしまうのかもしれない。冒険とは危険を伴うものであり、左団扇(ひだりうちわ)でできるものではないからだ。

 冒険はしないが、冒険には人並みに憧れている。登山や南極探検のようなリアルなものではなく、ファンタジーなものに限ってのことだ。天狗が裁きをしたり、サイクロプスがお雑煮を作ったり、ハリー・ポッターと謎のプリンスがお寺の障子を張り替えたりなど、モンスターや魔法の溢れた世界に魅力を感じずにはいられない。

 きっと子どもの頃からそんな漫画やゲームに触れてきたからだろう。自分もそういった空想世界に入って口から何らかの光線を出せれば大冒険ができるのにとは思うが、それは現実にはありえない話だ。そもそも私は運動神経が悪いばかりか、学力もないので、例えそういった世界に行ったところで何もできず、街の蕎麦屋の二階で落語をやっているのが目に見えている。