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“お前の人生、なんぼのもんじゃい”から始まる講演録

柳家小志んの「噺家渡世の余生な噺」 第5回

五、「尊敬は醒めない」と語る、矛盾だらけの立ち位置で

 最近のキーワードは「共生」だ。年齢も障がいも、マイノリティーも超えて、互いを認め合う社会。これを落語で語ってほしいという。

 落語の登場人物には皆、生きる理由がある。泥棒すら主人公になる。大ボラ吹きも、花魁(おいらん)に騙される男たちも、どこか愛おしい。人権や共生の講演に、落語という器は意外なほど馴染む。

 誰もが自分という“配役”で舞台に立っている。それが寄席という場所の真理かもしれない。

 私の講演には、一つの決め台詞がある。

 「愛は醒めるが、尊敬は醒めない」

 入門前、師匠は“神”だった。入門後、一緒に過ごすうちに、同じ“人間”になる。それでもなお師として仰げるのは、そこに変わらぬ尊敬があるからだ。

 この一節と「厩火事」を組み合わせて企業研修で講話すると大概、アンケートは絶賛の嵐となる。だが、裏が返ること(遊郭で同じ遊女と再び会うことから転じて、もう一回あること)はほとんどない。それは、講演の最終決定権が上司にあるからだ。

 「自分の上司こそが、「厩火事」の“麹町のさる旦那様”である」ことに気づかせる内容を、果たして上司が認めるだろうか。そんなジレンマを抱えながら、私は今日も講演の依頼を受ける。

 落語を本寸法でやりたいと思いながら、漫談や講演の現場にも立つ。どちらも“自分”ではあるのだが、どこかで肩書を切り替えながら、世の中とつきあっていく器用さが、どうしても身につかない。

 そういう生き方を講演してくれる誰かがいたら――少なくとも私は、清聴するだろうと思う。三十歳年下でさえなければ、だが。

 そう考えると、やはり師匠は“神”であるのと同時に、“魔王”なのかもしれない。

厩火事……古典落語の演目。髪結いのお崎は、怠け者の亭主との離縁を仲人に相談するが、心の底では亭主を愛している。仲人は「弟子を気遣った孔子の話」と、「家族よりも、家宝の瀬戸物を大切にする“麹町のさる旦那様”の話」を語り、亭主の愛情を試すように助言。お崎が亭主が大切にする皿をわざと割ると、亭主は皿より彼女の怪我を心配するが……。

(毎月14日頃、掲載予定)