2025年11月のつれづれ(浪曲シネマ劇場、大利根勝子の登壇、真山隼人の奮闘、注目の公演)

月刊「浪曲つれづれ」 第7回

鳴り止まぬ万雷の拍手

 その大利根勝子が再び舞台に立つということで、満員の観客が詰めかけた。出番は「浪曲太陽傳」上映後で、玉川太福と伊勢哲が話の聞き手を務めた。

 太福は師匠である玉川福太郎が入門からわずか三ヶ月で亡くなってしまい、芸人としていきなり拠り所を失うという悲劇に見舞われた。その際、福太郎夫人である玉川みね子の口利きで、大利根勝子に師事する機会を得たのである。

 勝子が住む群馬県前橋市まで太福は定期的に通い、声の出し方など浪曲のいろはを教わった。この前橋通いによって太福はその才能を開花させ、現在に至る。大利根勝子の人柄がなさしめたことである。

 大利根勝子は1942年、岩手県一関市生まれである。5歳のときに罹患したはしかが元で視力をほぼ失い、祖父の知人であった一関市在住の浪曲師・大利根太郎の内弟子となった。

 大利根太郎は戦前の東京にいた際は東家燕左衛門を名乗っていた人で、初代・東家浦太郎も弟子だった時期がある。11歳からこの師匠に付いて歩き、北は北海道まで巡業を体験した。両親が浪曲師だった故・藤圭子とは彼女がまだ幼児だったころに会い、その子守をしたという。現代にはほぼいなくなった、巡業生活を主とした浪曲師の最後の一人だったと言ってもいい。

 ひさしぶりに姿を見せた勝子を、観客は万雷の拍手で出迎えた。引退の理由は心身の限界を感じたためであり、2025年2月25日を最後として浪曲はまったく稽古もしておらず、復帰はありえない。この日はサービスとして米倉ますみ「俺の出番はきっと来る」を朗々と歌い上げた。歌唱を聴いた限りでは、声には一分の衰えもなく、現役時代そのままの大利根勝子であったと思う。実に惜しい。

 しかし、こうして惜しまれながらの引退ができたというのは芸人として幸せなことだろう。今後も浪曲は無理だが、トークイベントなどでは出演することもあるそうだ。直近では12月、玉川太福の公演に顔を出してくれるという。

 実際にその人柄に触れたい方は、マッサージ師として夫・齋藤高次氏と共に群馬県前橋市で経営している大利根治療院(前橋市城東町5-7-1-102)へどうぞ。