水茄子とジンジャーエール

シリーズ「思い出の味」 第15回

 あくる日の稽古はうまくいかなかった。私はその足で、人形町に向かった。その師匠の人形町の落語会にお邪魔して、勉強させてもらうことにしたのであった。そうして舞台袖でその師匠の落語を、凝(じっ)と聴いていた。『二人旅』であった。二人の旅人。一人が、茄子の夢を見たという。大きな茄子であったという。もう一人が、その大きさを訊く。家のような茄子か。いや、もっと大きい。山のような茄子か。そんなもんじゃあない。見通しがつかねえ、真っ暗闇のところへ、蔕(へた)ァ付けたような茄子だ、と言う。そのやりとりが、どういうわけか記憶の闇に残っていて、高座灯りに照らされたまま、今も、私の中に繰り返し繰り広げられている。それは前日に茄子を食ったことの功罪であり、その功はこのやりとりが私の落語と詩における風景の一つに加えられたことで、その罪はそうしてまた水茄子のように丸々とその勘違いを太らせる結果になったことである。

 蔕。それからこの字が、私を呪うように付きまとった。この眉間に皺の寄ったような難しい字を見ていると、前座の帯がからまったようで、また下手という批評も思い出されて、いたたまれなくなる。しかし私はこんな字を、この機会に乗じて、漢字でこそここに書いてみたいと思う。蔕。茄子の夢。交じり合わない風味。拙い落語。私。どうやら本は一冊出したが、このところ、原稿の仕事も来ない。大長篇だって、書くつもりでいるのです。噺家が、はい、そうです。落語をやりなさい、ごもっとも。そもそも、書く必要があるのか、ええ、それもそうだ。尾鰭背鰭(おびれせびれ)の、二人旅。どうやら私は、難しいらしい。夏の青臭さ、生姜風味の泡沫。落語会は小さいものを開催している。それでも数人の馴染客が来る。ありがたい。懐手に、まだ可能性はあるやもしれぬ、なんて、主人公めいた言い回しをしてみる、帰り道。そんなことを考えながら歩いていた人形町の路地裏の漠(ばく)とした東京は、それこそ暗闇に蔕を付けたような闇夜であった、なんてサゲは、どうでしょう、読者諸子。下手ですかね、やっぱり。誰か助けちゃくれまいか。未来に唸る、艶やかな不安の光沢。水茄子と、ジンジャーエール。

林家彦三 X(旧Twitter)

(了)