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2025年12月のつれづれ(天光軒新月・五月一秀二人会、京山幸太・東京独演会)

月刊「浪曲つれづれ」 第8回

若き二人が交わる瞬間

 ドラマはもう一つあった。五月一秀との関係である。

 一秀は、1973(昭和48)年8月に五月一朗に入門した。天光軒新月は、1971(昭和46)年4月に三代目天光軒満月(先代)に入門している。五月一朗は大阪浪曲界出身だが、1970年代には関東を主舞台としていた。三代目満月は大阪の人だ。二人の活動圏は異なっていたのだが、満月が関東に興行に来たことで当時、小満月と名乗っていた新月と、秀若の前名だった一秀が出会ったのである。二年の違いはあるが、若手同士だった二人はうまがあい、親しく交わった。

 一秀は三代目満月に対する尊崇の念を強く持っていた。一秀の出身地は、九州である。あるとき、北九州に満月が興行で訪れた。十代の一秀はその口演を聴いて衝撃を受けた。演目は十八番の「父帰る」である。後から見ると観客の大人たちの肩が揺れている。あまりの熱演に感極まった人々が、こみあげる嗚咽をこらえるためにそうなるのだ。自身が浪曲師を目指した原点はいくつかあるが、その一つは間違いなくこのときの「父帰る」だったと一秀は語る。

 一秀の初舞台は1973(昭和48)年9月、浅草木馬亭で「父帰る」を口演した。もちろん三代目満月のそれである。本家に黙っての口演を申し訳なく思っていた一秀は、新月と出会ったときにそのことを話し、相談した。すると新月は、気にしないでいいと言い、なんと満月の台本をくれたというのである。もちろん無断ではなく、師匠の許しを得てのことであった。三代目満月一門がどのようであったか、空気が伝わってくるようなエピソードだ。当日は、出演者によるトークコーナーもあり、こうした話題も出て盛り上がった。