死語について

「すずめのさえずり」 第六回

「冷や」と「冷酒」

 今、それなりの格の店に行っても、「冷や」を注文して出てくるのは「冷酒」である。

 私も初めはそう思っていた。だって「冷や」してると言ってるんだから冷酒だろう。それに水の「お冷や」には、たいてい氷が入ってよく冷えている。

 冷やがいわゆる「常温」のことだと知ったのは噺家になってからである。

 まだ冷蔵庫がなかった時代、酒の飲み方は燗をつけるかつけないか、であった。お燗をしないでそのまま飲むのが冷やというわけだから、なるほどこれは常温である。

 しかしこれは、現代人にはなかなか理解しづらい感覚ではなかろうか。

 冷やが通用しないので怒ってしまう師匠方のエピソードは昔からあって、ある大看板の師匠は

 「もういい! 熱燗と氷持ってきて」

 熱燗に氷を放り込んで

 「これが冷や!」

 と言ったそうだ。

 そ、それは「熱燗のロック」であって、冷やではないのでは……。

 私もそれを知ってからは、冷やが通じない店員がいると一丁前に呆れちゃったりなんかしていたわけだが、こうまで通用しないとなると、これはもう、冷やという言葉そのものが死語になったのだ、と諦めるほかはないのかもしれない。

 別にそれでも良いではないか。常温と注文すれば、ちゃんと冷やが出てくるのだから。ただ、冷やよりちょっとおいしくなさそうに聞こえるだけなんだから。

 どうもこういう古臭い業界に身を置いていると、業界内ではまだ子供のようなものとはいえ、世間の同世代との感覚の乖離に気づかないこともあるものだ。

 同窓会などに行くと、自分では普通に喋っているつもりなのだが

 「やっぱり喋り方が今っぽくないね」
 「そうかい?」
 「そうかいとか言わないんだよ普通は」