死語について

「すずめのさえずり」 第六回

まるで落語家みたい

 このあいだ仲間たちと、そういう噺家っぽい言葉を使わずに喋ってみよう、と試みたことがある。

 「そうかい?」「よせよ」「うまいねェ」「ようよう」。あとは落語の演目やキャラ、セリフを使う「それじゃ与太郎だよ」「これはこれはすんちゃん」のような言い回し。全部禁止。

 そうしたらみんな黙っちゃった。

 なお師匠のおかみさんなどは、デパートの店員が「月づえ」が分からなかったとこぼしていたが、さすがにそれはもう無理だと思います……ちなみに月づえとは月末のこと。

 先日、声優志望の子たちに落語を教える機会があったのだが、実に半分以上が「鯉口」を知らなかった。

 時代劇がなくなったので仕方ないといえばそれまでなのだが、声優とはいえ役者なのだから、そこは知っていてほしかった。

 ああ、人はこうして口うるさいオヤジになっていくのだろうか。

 思えば、昭和55年生まれの私は、落語に出てくるような「昔の日本」の名残を、まだかろうじて経験できた最後の世代なのではないか。

 祖母は大正生まれだったし、個人商店に行くとポリ袋ではなく新聞紙で包んだりもしていた。

 それでも練馬の生まれなので、東京出身だがもう江戸弁は喋れない。

 関東大震災のドキュメンタリー番組を見ていたら、出てくる震災経験者たちの喋り方が全員「まるで落語家みたい」で、これがネイティブの江戸弁かあ、と思ったものだ。

 もう河竹黙阿弥や、池波正太郎や藤沢周平や、どうかすると現代作家である浅田次郎先生すら、もう登場人物たちが語る言葉をそのまま音声化することは不可能なのかもしれない。