〈掲載記事300本記念〉 柳家さん喬師匠 スペシャルインタビュー【前編】

掲載記事300本記念

〈掲載記事300本記念〉 柳家さん喬師匠 スペシャルインタビュー【前編】

2020年10月31日、よみうり大手町ホールにて(撮影・武藤奈緒美)

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五代目柳家小さん一門の年明け

 正月。落語家は気分も新たに、正月飾りで彩られた高座へと向かう。元旦、弟子が師匠宅へ年始のあいさつにうかがい、そのまま大師匠宅へ向かう一門もある。ずっと昔から伝えられてきた、古き良き習わしである。世の中全般は、1月5日前後の仕事始めを境に正月気分が日常モードへと切り替わるが、寄席演芸人の正月気分は初席(1日~10日)、二之席(11日~20日)と続いていく。

 長い間、年頭の清々しさを、前座、二ツ目、真打、そして落語協会会長として、その都度味わってきた柳家さん喬師匠は、しみじみ振り返る。

「自分ではこんな長い間やってきた気はないんですよ。でも、弟子入りしたのが18の時ですからね、もう60年近くですか。還暦の噺家、いくらでもいますよね」

撮影:編集部

 五代目柳家小さん一門は、大所帯だった。直弟子だけで25人以上。ほかの門下や落語芸術協会からの移籍組、色物芸人を含めると一門は50人にも及んだ。彼らが一同に集う正月。弟子は粗相のないように働き続ける。

「正月の準備は、大晦日から。おかみさん(小さん夫人)のご命で正月の支度をしましたね。お雑煮を60人分ぐらいこしらえて、お酒も準備して。

あの頃は、出入りの方々が『お正月に使ってください』って、お魚や野菜などを差し入れてくれたので、それで準備しましたね」

 小さん師匠の弟子は内弟子が基本だったが、さん喬師匠の入門時はすでに前座・二ツ目合わせて8人の兄弟子が住み込み、ひしめき合っている状態。東京・本所吾妻橋生まれ育ちのさん喬師匠(前座名は柳家小稲)は通いの弟子として修業を始めた。

 いつもは帰宅できていたが、大晦日だけは別。徹夜だった。元旦の一門の集合場所になるのは、小さん師匠が愛した自宅の剣道場。常時、二組が同時に試合できるスペースがあったという。

「そこにテーブルをずらーっと並べて、酒肴の準備。道場の壁には、師匠の真打昇進の時の後ろ幕を全部張るんです。電車(JR、当時は国電)は終夜運行していましたから、明け方になると一門の弟子たちが黒紋付でやって来る。

本来なら『おめでとう』って言いそうですが、お互いに『よ、おめで……、ああ、おはよう』って、朝、師匠が道場に降りて来るまでは、じーっと座って世間話をしているだけ。

師匠が『おめでとう』って言うまでは、誰も『おめでとう』って言っちゃいけない決まりがありましたね」