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寄席、そちらとこちら

「二藍の文箱」 第9回

 寄席通いの初期、協会の違いも芸人の名前もよくわからなかったが、そのよく知らない“おじいさん”やら“おじさん”たちが、わたしの目当てとなった。

 それは、先代の柳家小せん師匠やぺぺ桜井先生といったところ。小せん師匠のとぼけた調子の「この前なんか、『大統領!』と掛け声がかかり」なんて、マクラとも漫談ともつかないはなしを何度となく耳にして、『この前っていつだろう。知る限りでは、大統領なんて掛け声がかかった日はなかったが……』と、まだ11、12歳のわたしは本気で考えたほどだ。

 立川談志を落語の入り口にする割には、まだまだ純粋な少年だった。

 先月初席が終わったばかりだが、子どもの頃、初席といえば、もっぱら上野の鈴本演芸場の興行で、これは父と行った。ひとりひとりの持ち時間が短い初席にあって、あきらかに鈴々舎馬風師匠は持ち時間をオーバーしており、さらには唄まで歌う。その唄もなかなか終わりそうで終わらない。

 終わらないものだから、バックダンサーだという前座も出たり入ったり、転んだり。このバフーってひとはなんなんだと、子どもながらに時間を気にしたものだ。

 やっぱり、まだまだ純粋だった。

 後年、前座時代の大半を、その鈴々舎のバックダンサーとして過ごすことになる。入門当初はいまの小せん兄、当時のわか馬兄と、柳家三語楼で真打となった鈴々舎バンビが馬風師匠のバックダンサーだったが、わか馬兄が二ツ目になってしばらくしてから、わたしが主に三語楼のバンビと一緒に後ろで踊った。

 そのうちにわたしは鈴々舎の大喜利『峠の唄』と『お手上げ節』用に着物を誂え、トリの興行に名指しで入る前座となった。

 それはまるで、あの初席の客席でバフーの傍若無人な振る舞いに呆気に取られた、サカモト少年の出世物語だ。