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寄席、そちらとこちら

「二藍の文箱」 第9回

 閑話休題 ──それはさておき

 ちょっと値が張る落語会や、土地勘がまったくない場所には、父が一緒に行ってくれた。確か国立演芸場だったはずで、当時、東京の南端から三宅坂に行くのは随分不便だった。少なくとも子どもには、そう感じた。

 若き日の談春、志らく、花緑師匠らが参加していた『らくご奇兵隊』というユニットの公演は、寄席と違って周りが若い女性ばかりで、父子で行くには少しの座り心地のわるさがあった。当時から人気者だったということだ。

 このメンバーは、わたしが住んでいた武蔵新田の隣駅、下丸子でいまでも行われている『下丸子らくご倶楽部』のメンバーでもあった。その特別公演に行った時の記憶で、肝入りの山藤章二画伯が客席の最前列にいた。

 当時は東急目蒲線のどの駅も、いまの目黒線のように地下ではなく、みんな吹きっさらしで、その日もとても寒い晩だった。

 国立演芸場から出て、わたしは蕎麦を、父は珍しく熱燗なんかを飲んでたものの、乗り換え駅で風に吹かれながら「酔いもすっかり醒めちゃうな」と言う父に、『オトナになったら寄席帰りの熱燗もいいもんだな』と、思ったが、それ以前にこちら側の人間になってしまい、せいぜいわたしの客席時代は、寄席帰りのコカコーラがいいところ。それじゃ、まったくさまにならない。

 わたしが高座で「こちら側に来るよりも、そちらで落語を聴いているほうがよほど利口で」というのも、そのあたりのことだ。わたしたちにはそのたのしみは、もう、ない。