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老害は老後から始まらない説 ~老害とヒエラルキー思考

「噺家渡世の余生な噺」 第10回

四、老害の正体

 ジェネリック医薬品が推奨され始めた頃の噺である。

 調剤薬局で、問診票に「ジェネリック医薬品を希望しますか」という欄があった。よく分からないまま〇を付けたであろう高齢者に、薬剤師が丁寧に説明を始めた。

 するとその高齢者は言った。

 「ごちゃごちゃ言わないで、医者の言った薬を出せばいいんだ」

 私は心の中で呟いた。

 ――ああ、これが老害か。

 だが、よく考えると違う。この人は元々、「医者が上、薬剤師が下、その間に客の自分がいる」というヒエラルキー思考の持ち主なのだ。つまり、老害なのではない。若い頃から、ずっとこの人なのである。

五、ヒエラルキー思考

 ヒエラルキー思考とは、一つの組織内――いわゆるメゾ・レベルにおいて、立場が下である者や、自分より経験年数や所属期間が短い者は、その組織を外れた社会――マクロ・レベルにおいても、人間的価値や能力においても、自分より下であり、その意見や提案についても軽薄なものだと、最初から決めつけてしまう思考である。

 本来、序列とは、教育や責任を分担するためのものであって、人の価値や可能性の上下を決めるものではない。こういった人物が、組織にたった一人いるだけで、現場には意見の抑制が生まれ、空気は濁り、改善は、静かに、確実に、低下していく。

 だから彼らはおそらく、老いてそうなったのではない。現役世代の頃から、会社内で自分の立場が優位だと認識した途端、相手の行動も、能力も、提案も、無条件に価値が低いものだと見なしてきた人たちなのだろう。

 そして、相手と違う選択肢を示すことこそが正しいのだと信じ、そのつど、違う方へ、違う方へと、指図してきた。

 それは職場を離れても変わらない。プライベートの飲みニケーションの場においても、注文する酒から、皿の置き方に至るまで、いちいち否定してくる。

 これが日常なら、まだよい。だが、緊急時や災害時にまで、経験者や専門家に対してさえ、同じ物差しを当てはめられては、たまったものではない。実に、面倒な人間である。

 そこに年齢という、“都合のいい肩書き”が加わっただけの話なのであろう。