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かたばみ日記 ~初主任の十日間

「二藍の文箱」 第10回

楽屋のやさしさと紺屋高尾――拍手が止むまでの永遠の時間

2月20日 金曜日 千穐楽 「紺屋高尾」

 人形町草加屋に寄り楽屋入り。三代目三木助が金庫に隠していた煎餅として、随筆に残している。いまでも炭で焼かれた煎餅は、事実うまい。

 いつもより1時間早く楽屋入り。鈴本演芸場へご挨拶、先日弟子の歌坊へご指導があったということで、さん喬師匠へお礼とお詫び。そうした姿を見せることしか師匠にはできない。

 代演に天草ヤスミさん。この興行、どこを取っても流れがいいのだが、特にわたしの高座に直接的にかかってくるのが後半、中入り後ということになる。

 粋曲の柳家小菊師匠から、ベテランながら新作主体の軽さを見せる小ゑん師匠、言わずもがなの一之輔、お家芸の猫八さん。そこに代演で入るのだから、ましてや鈴本に5年半ぶりということで、とても緊張しているヤスミさんに、楽屋では容赦ないイジりがあって、楽屋は実にやさしいな、と。これ気をつかわれるほうがキンチョーする。

 楽屋のテレビ兼モニターは、普段は見るともなくテレビが流れているが、ヤスミさんが上がると一之輔がテレビから高座の映像に切り替えて、みんなでその高座を見る。わたし自身、昨年12月に6年ぶりぐらいに鈴本演芸場の出番をいただいて、その千穐楽の翌日に今回の初トリのおはなしをいただいたので、ヤスミさんのいまのキモチを、推しはかることはできる。先輩の藝ながら、ドキドキとして観る。

 しかけた笑いは全て回収したのではないだろうか、高座を終え安堵したところで、ヤスミさんが楽屋に戻る前に、一之輔がサッと画面をテレビにもどしたところに、やはり楽屋のやさしさを感じる。おつかれさまでした!ありがとうございました。に、すぐさま「ずっと見てたからな」の玉の輔師匠。画面を切り替えた意味がないじゃない。でも、これこそやっぱり楽屋のやさしさだ。わたしが育ってきた場所だ。

 きょう、高座が少し長くなるかもしれないんだ。

 時間を差配するタテ前座に、あらかじめそう伝えてあったので、1、2分短めの進行で、かえって小ゑん、一之輔の高座は濃縮されて、ぽんっと笑わせて帰ってくる、猫八休演──つまりここに代演、天草ヤスミで、わたしの前がきょうは小菊師匠。その小菊師匠から5分早く、わたしに出番がわたされる。

 今席10回目の出囃子『土手の提灯』だ。

 高座へ向かう楽屋裏から袖には苦楽をともにしてきた、三語楼がいて、東京に出てきてからすぐに仲良くなった鶴瓶師匠の弟子のべ瓶も駆けつけてくれた。毎日盛り上げて繋いでくれた一之輔がいて、この興行の雰囲気づくりに苦心してくれたはな平もいる、そして弟子の歌坊もいる。

 ご苦労さまですの声を背中に聞く。高座返しの一呂久がビラを出すと、わたしに一礼、それに黙礼で返して、じゃ、行ってきます。

 客席にはあの顔、この顔。それはいまここにいるひともいれば、もういないひとの顔も浮かぶ。その顔はみな晴れやかで誇らしい、拍手を送りつつ、その拍手を自分が受けるかのように。

 頭を下げて、掛け声と拍手が止むのを待つ。

 えぇ、ご来場でお礼申し上げます、三遊亭 司でございます。
 本日、二月中席千穐楽でございます──

(毎月2日頃、掲載予定)

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