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弟子の目玉焼きと師匠の粥

「二藍の文箱」 第11回

 いま弟子には、課題として三度三度の自炊と、それを報告するように伝えている。なにも食事内容を問うものでなく、自炊と言っても即席麺から冷凍食品まで、許容範囲はとても広い。ただ、自分で買ってきて、自分でつくって、自分で片付ける。

 たぶん、いま、これを読みながら「えっ?」となっているひとがほとんどだと思う。そう、いまの23歳は……などとは言わないが、うちの、実家住まい、祖母、母、姉との4人暮らしの、23歳の甘えの構造を断つのはこのレベルからだ。

 それでも感謝と責任感が伴わなければ、つぎに彼を待つのは、ひとり暮らしということになっている。藝の土台となるものは、なんてことはない、生活力だ。

 そんな自炊の指示を出した、翌日の発熱。

 養生にあてた1日を置いて、最初の報告が「8:00 卵がゆ」とのことだった。

 ちなみに半年ほど前に彼の母親とはなしをした時に、家での彼のはなしになって「料理は?と訊いたら、目玉焼きぐらいはって言ってましたよ」「いえ、目玉焼きもできないと思います」が、母親の見立てであり、この「目玉焼きぐらい」発言が出た時も、聞いてた周りの人間たちが『あぁあ、「目玉焼き」「ぐらい」って言っちゃったよ……』という空気になった。

 自ら虚栄心が強いという歌坊の心の内を推し量るに、「できない」は言いたくない、だから「できない」が「ぐらい」になって、「なんとなくできそうだな」が、卵を落とすだけの「目玉焼き」なのだろう。

 なぜ師匠に三遊亭司を選んだかのひとつに「ひとつひとつ理屈でものを教えてくれそう」というのが歌坊の答えのひとつにあったが、理屈で言われるのもきついと思う。つい口に出た「目玉焼き」のそのひと言で、これだけ言われるのだから。

 ちなみにわたしが大衆食堂で飲む時、必ず頼むのが、その「目玉焼き」だ。

 不用意というのは恐ろしい、敵が悪かった。

 体調不良ゆえの粥ということもあり、その卵がゆもレトルトかと思いの外、「粥は自分で炊きました」とのこと。

 「冷やご飯の状態からつくりました。ネットのレシピで見ながらつくりました。味付けは塩のみです」

 なるほど、ネットにはなんでもある。これ、わたしに「体調不良なのでお粥のつくり方教えてください」だったら、間違いなく200gの生米を洗うところからになっただろうな。お粥が好きで、粥を炊くのに夢中になっていた時期があった。歌坊、師匠選びを間違えたのかも知れない。